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話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

戦場ジャーナリストについて僕の思うこと

生きねば。

 

……

 

本来このブログのテーマではないのですが、すこし思いついたことがあったので、書いてみます。

戦場ジャーナリストの危険と自己責任について、昨今例の事件もあり、いろいろと語られています。今でもシリアに渡ろうとし、報道を行おうという人もいるようです。


シリアへの渡航を止められたフリーカメラマン杉本祐一「報道の自由を奪うな!!」:哲学ニュースnwk

 

その意気は買います。しかし今一度、考えてほしいことがある。

ちょっとした想像力、思考実験です。

 

 

ある日、ある戦場ジャーナリストAさんがテロ組織に捕縛されました。テロ組織はAさんの命を奪うことも厭わないと言っています。ただし、ある要求を呑めば、Aさんは解放されるという……。

その要求とは、

あなた、戦場ジャーナリストである「あなた」が今後一切シリアに渡らなければ、Aさんの命は助かる、というのです。

あなたは当然困惑する。「なぜ自分が?」「お金とかじゃないの?」「あるいは捕まったテロ犯と交換とか?」そんな疑問が飛び交うが、どうも本当らしい。

そして謎が解けます。

テロ組織の公表する映像に映し出された戦場ジャーナリストAさんの顔は、

あなたの顔そのものだった。

 

 

つまりこういうことです。

戦場ジャーナリストの方は、「人間の命」をどこまで重く、あるいは軽く見ているのか。

戦場に行かなければ、あなたは人質の命を助けることが出来ます。(当たり前ですよね、自分なんだから)

先日の件では戦場ジャーナリストである後藤さんの命の交換条件として「2億ドル」そしてそのあとに「サジダ・リシャウィ死刑囚との交換」が要求されました。

このとき「あなた」は、その要求を呑むべきだと思ったでしょうか?

ではもし、その交換条件が「自分がシリアに行かないこと」だったら?

僕自身の考えを述べさせて貰えば、呑むべきだと思います。

一人のジャーナリストが戦場に行かないことで、一人の人間の命が救えるなら、ジャーナリストを止めるべきでしょう。

それは僕が部外者だからこそそう思えるだけなのかもしれませんが、いまいちど、じっくり考えてみませんか?

あなたの行動によって救える命があるとすれば、それはそれほど軽視すべき問題ではないと思うのです。