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話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

ザ☆ルサンチマンはあんた

このハンバーガーとコーラは世界で一番売れている

だから世界で一番不味いものに決まっているだろ

 

……

 

僕のオタクの嫌いなところの一つに「やたらマイナー志向」というものがあります。

売れているものは叩き、売れていないものは褒めるがジャスティス、みたいな分かりやすい奴です。わりといるような気がします。

どうして彼らはそこまでマイナーにこだわるのか、ニーチェの「ルサンチマン」や「奴隷道徳」といった概念と一緒に考えてみましょう。

 

無力なオタクのルサンチマン

どこから始めればいいのか、オタクのマイナー志向は彼らのアイデンティティに根ざしているような部分があり、そこからさらに自意識や外の世界の状況と複雑に絡まり合ってどこがスタートなのか判然としません。

今回は「オタクは作品と同一化することによりアイデンティティを支えている」というところから始めてみましょう。

オタクはまず自分が「オタクである」ということにアイデンティティを感じます。さらに言えば、「何のオタクであるか」「何が好きなオタクであるか」という事柄を用いて自己と他者を差異化します。

以前、別の記事で「今やオタクは何が好きかより何が嫌いかで自分を語っている」と書きましたが、そんな彼らも最初はちゃんと「何が好きか」によってアイデンティティを構築することが出来ていたのだと思います。

そしてそこには同一化が少なからずある。

簡単に言えば「こんなにすごいアニメを好きな俺はすごい」「こんなに深い漫画を理解できる俺は深い」というような感じです。

そしてこのような同一化にはデメリットもあって、自分が好きなアニメより売れているアニメがあると、なんだか自分自身が否定されているような気がしてくる。感情移入のし過ぎ、ですね。

こうして彼らは「売れているアニメ」「人気な漫画」を憎み始める。

このような、「弱者から強者への憎しみ」のことを「ルサンチマン」と言うのだそうです。実際にはもうすこし込み入った定義があるのでしょうが、今回は良いでしょう。要するに「すっぱいブドウ」ということです。

彼らは強者ではありません。アニメの状況に関して無力であり、自分の好きなアニメを流行らせるなんてことはできない。ではどうやってこの憎しみを解消すればいいのか?

おそらく解消するには許すか忘却するしかないのでしょうが、そんな方法はとれるはずもなく、彼らは「売れている」「人気の」作品を叩き始めます。実に分かりやすい方法と言えます。

こうして「売れているアニメや人気の漫画は叩かれる」という昨今よくあるネット状況が生まれます。それは無力なオタク達のルサンチマンが生み出したものだと言えるわけです。

 

ドレッド・有徳(奴隷道徳)

ニーチェにはまた「奴隷道徳」という概念があります。

これはルサンチマンにより産出される道徳観念、と言えそうです。対となるのが「貴族道徳」。

貴族道徳の方がある種単純で、これは「有能さ優秀さを評価する道徳」と言えると思います。また「結果至上主義」とも言えるかもしれません。優秀なものは優秀、価値あるものは価値がある、結果を出したものが優秀である、ということです。

これに対し、奴隷道徳はこのような貴族的価値観を否定するところから始まります。「奴隷」は貴族から抑圧されている存在であり、彼らが「優れている」だなんて認めたくない、そこで彼らは「悪い」という概念を思いつきます。

「権力者や金持ちは悪いんだ、それに対して自分達は善良である」と。

ニーチェが「奴隷道徳である」と言ったのはキリスト教的道徳に対してです。他の宗教でも大抵はそうだと思いますが、金銭など人間の欲望を象徴するようなものは汚れとされ、喜捨などが求められる。「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るようなもの」というようなことも言われていたりする。

金持ちや政治家、つまり力ある者たちが悪とされるのはワイドショーや創作物などでもよくあることですね。基本的に大衆は弱者ですから、大衆におもねろうとすれば自然と奴隷道徳的な構図を利用することになるし、作者側もそういうイデオロギーに支配されがちです。今の世の中には奴隷道徳があふれています。

そういう意味ではオタク達だけがルサンチマンを抱き、奴隷道徳に従っているわけでもありません。ただ、程度はいわゆる「一般人」と比べて結構強いかな、と思います。

話を戻しましょう。

オタク達はある面で弱者です。彼らの好きなマニアックなアニメより、ラノベ原作のミーハー層が飛びつくアニメの方が売れる。彼らの好きな漫画より、ワンピースなどの大衆的な作品が人気を勝ち取る。そのような状況下で着々とルサンチマンだけが堆積します。

そこで彼らは彼らなりの奴隷道徳を発明して、「売れているものは悪だ」となる。

冒頭のパロディの元ネタ

このハンバーガーとコーラは世界で一番売れている

だから世界で一番美味いものに決まっているだろ

はこうしたオタク達に好まれがちなセリフですが、これは「そんなわけない」と思わせるための皮肉なんですね。

ただ、僕が冒頭で示したように、彼らの奴隷道徳は彼らの皮肉する上記のセリフの単純な反転にしかなっていない。結果から判断する貴族道徳の逆張りにしかなっていないわけです。

 

魔物化するポストモダン

そもそもポストモダンな状況下にあって、評価とは単に特定のイデオロギーへの恭順を宣言するものにしかなりません。

評価する前にその判断基準が必要になる。でも「大きな物語」がない以上、誰でも同意できるような判断基準はありえない。結果「誰でもは同意しない」判断基準について「自分は同意する」とポーズを決めることを通してしか評価はできない。

つまり、ハンバーガーとコーラの例え話で「売り上げや人気とクオリティは比例しない」ことは示せても、「じゃあクオリティは何によって判断できるの?」という問いに対して普遍的な答えは誰も返せないわけです。ということは、オタク達の奴隷道徳も売上至上主義と同じ意味において間違っている。

こうした状況のためか、ある種のオタクは「人それぞれ」という言葉を極端に嫌います。それは「どうしようもない現実」としてのしかかってくるもので、しかもルサンチマン発散を不可能化される直接の原因でもある。

最終的に、一部のオタクは倫理を捨てます。

「もうなんだっていいや」「正しかろうが間違ってようが関係無い」「ただストレスを発散するために叩く」

こうして彼らオタク達は論理も倫理も無いただの攻撃者、「魔物」になるのです。