話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

矢口真里の何が悪いのかよくわかってない、という話

 またしてもこのブログのテーマとは関係ないのだけど、単純に疑問に思ったので書いてみようかなと思います。

 僕は最近、というかすこし前から、テレビをあまり見ていません。いや、テレビは見ますね。でも大抵はバラエティで、ワイドショーとかはあまり見ない。時間帯の問題かもしれません。

 とにかくそういうわけで詳しく知らない。ただそれだけなのかもしらないけれど、タイトルの通り僕にはよくわかっていない。

 不倫以外になにか振舞いが悪かったとか、そういうことなのでしょうか? もしかしたらそうなのかもしれません。

 ただ少なくとも、「不倫」ってそんなに悪いことなのでしょうか?

 というか、「不倫は悪い」って本当にみんなは信じてるんでしょうか?

 

「正義」の時代

 まず疑問に思うのは、力強くまた粘り強いバッシングについてです。

 何がそこまで人々を怒りに駆り立てるのか、いまいちよくわかっていません。

 というより、バッシングって何なんでしょう? あれはなんのためにやってるんでしょうか? 再犯防止とかでしょうか。

 刑罰というのは目的があるものだと思います。それは社会的な装置です。そのお陰で僕は今平和な生活を送ることが出来ているわけです。

 バッシングも実は僕の平和な生活にどこかで貢献したりしているのでしょうか? よくわからないけれど、あまりそんな感じもしない。

 僕にはどうも、バッシングというモノが端から胡散臭く見えて仕方がありません。

 その固く握り締め振り上げられたコブシはいかにも「正義」という感じです。

 僕は倫理は信じますが正義は信じられません。

 そして正義を信じられる人がこの時代にそんなにたくさんいるというのも俄かには信じ難い。

 でももしかしたら、僕が鈍感なだけで、今はまさに「正義」の時代なのかもしれません。

 

倫理の壊れた世界で

 「正義」は燃え上がる一方で(つまり「炎上」?)僕の好きな「倫理」はどうもあまり機能している気はしません。

 そもそも正義と倫理はどう違うのか。シャーマンキングで言うところのX-LAWSが正義、「やったらやりかえされる」という麻倉葉が倫理、というイメージです、僕の中では。

 あるいは、正義とは他者に執行するもの、倫理とは自己を抑制するもの、とも言えるかもしれません。

 バッシングひとつとっても、それはかなりの勢いで他者に対して執行されており、一方で自己を抑制しているようにはとても見えない。ネット上の叩きの過熱や炎上など、この傾向はこの件に限ったことではありませんね。

 端的に言って、今のこの時代に倫理はすでに壊れていると思います。機能していない。誰も倫理など信じていない。

 だからこそ不思議なのです。不倫が悪いと言われても、「本当にそう信じてるんですか?」と問いたくなる。まったく納得できません。いや、否定形の勢いの無さはこの場合僕の実感を表していません。つまり、なんと表現したらいいか分からないが……ちんぷんかんぷんなんです。

 だって何が悪いんですか? 人を傷付けるからですか? もしそうだったら僕は嬉しい。誰かを傷付けることが本当に悪いことだと信じてる人がたくさんいるなら、それは僕にとって希望です。

 でも、それはどうも馬鹿馬鹿しい希望的観測に過ぎないような気がする。もっといえば、そんなわけないじゃないですか。人を傷付けることが悪いことだと思ってる人は、そう簡単に感情的になって人を罰したりはしませんよ。

 

倫理の壊れた『正義』の時代

 誰も倫理を信じてない、誰もが正義を信じる時代。

 僕には今の時代がひどく不気味に見えます。

 本当に不倫が悪いことだと思ってる人がいるのでしょうか? どう頑張っても、それを信じることが出来ない。

 まだマシなのは、どうも正義の方も、本当には信じられていない気がするところです。括弧に入れられた『正義』が、信仰を得ないままにその形式のみ反復される。そんなふうに見えます。

 

 なんだか結局、矢口真里とは関係の無い話になってしまいました。

 まぁ当然であるような気もします。僕にはこの一連の騒動が――つまり騒ぐ側も含めて、ということです――時代の典型を表しているように見える。しかしそもそも詳細を知らない。となると結果はこうなるしかないでしょう。

 ただ、いろいろなヒントを得たような気はします。