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話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

ラッスンゴレライは本当に単純なネタなのだろうか?

その他のお話

いやちょっと待ってちょっと待ってお兄さん

ラッスンゴレライってなんですの?

 

……

 

 最近やたらと叩かれがちなこのネタですが、僕は結構好きです、実は。

 それにこのネタ、言われているほど単純なネタなのかな? と叩かれているのを見るたびに思います。

 ただ、じゃあどこが面白いんだ、説明してみろ、と言われると、説明しろと言われましても意味わからんからできまっせ~ん、としか言いようがないんですけどね。それに、ギャグの説明ほど寒いものはありません。

 しかしちょっとネタを眺めてみるだけでも「不条理」「ツッコミ」「スカシ」「天丼」それから当然「リズム」など、かなり多彩なお笑いの要素が詰め込まれているのがわかります。思いのほか笑いに貪欲というか、贅沢かつもったいないほどの詰め込みぶりだと思うんですよ。

 「乳首ドリルすな」って、伝わるでしょうか? アレを初めて見たときは感動したものですが、あの短縮版、という印象です。僕の中では。

 

 今回はあまり長く書くのはやめようと思ったんですが、しかし気になる点はいくつかあったりします。

 ひとつは「批評する側がやたらテレビ側目線」ということです。これは今に始まったことでもないんですが、最近やたらと芸人やネタの「寿命」みたいなのを気にする風潮ありますよね。あれどうかと思うんです。

 そもそも寿命が長ければ優れているんでしょうか? それって実は、テレビ側、番組制作側の目線や都合だったりしません? 番組作り側としては、当然「寿命が長い芸人・ネタの方が優れている」んですよ、長く使えるから。でも、そのテレビ側の価値観に視聴者まで乗ってしまうのって、どうなんでしょう?

 しかも、悲しいことにというか皮肉なことにというか、テレビを敵対視しているような人ほど、実は無自覚に(?)そういうテレビ側の価値観に乗っかってしまっているんですよね。あれ本人自覚してるんでしょうか?

 もう一つ気になるのは、「リズムネタは寿命が短い」という誤解です。

 よく考えてみてください。そもそも数カ月にわたって同じパターンで通用するネタって、本当に短命ですか?

 お笑いにはいろいろありますよね。雛段などに代表される「トーク」に芸人の本領とも言える「漫才」それから「コント」、そして「一発芸」などなど。これらのネタの寿命っていかほどでしょうか?

 まず「トーク」。これは基本的に一回限りです。まぁ結構使い回してるのを見ることはありますけどね。また、キャラ化された芸人に「お決まりのいじり方」みたいなのもあることはありますから、その場合は結構寿命も長いです。

 次に「漫才」と「コント」。僕だけかもしれませんが、「あ―これ見たことある」ってネタはテンション下がりますね。賞味期限の早さはリズムネタと比べものにならないほど短いと個人的に思います。フットボールアワーの「ポテロンゲスト」とか出てくるおかしのネタ、何回見たことか。

 そう考えると「一発芸」や「リズムネタ」って実は寿命が異常に長い部類だと思うんですよ。ラッスンゴレライはあまり当てはまりませんが、武勇伝や当たり前体操など、フォーマットだけ残してネタの中身を入れ替えると更に寿命は延びます。

 もちろん、芸人自体の寿命は短くなるように「見え」ますけどね。それはリズムネタの問題というよりは、トークや漫才などのように「再生産」の過程がないからですよ。むしろ寿命が長すぎるが故に、次のネタを作りづらくなってしまうんです。この点、多くの批判は的を外してるなと思いますね。

 

 とまぁいろいろ書いてみましたが、別にこんなこと考える必要は本来ないんですよね。中高生にウケている、ということは単純に素直に受け止めれば笑えるネタなんですよ。いちいち理屈とか考えるからつまらなくなる。(お前が言うなですがw)先入観や偏見は捨てて、もうちょっと素直な目で「お笑い」見てみませんか?