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話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

批評と批判の違い

オタクの嫌いなところ話 その他のお話 批評的な

批評 批評ってなんだ ふりむかないことさ
批判 ってなんだ MaわレMEら輪な居 こ と さ

 

……

 

 僕は批判とはすべて結果論であると考えています。そして批評はその逆の……なんというのでしょう、前提論でしょうか? とにかく時間軸において逆の方向を向いている考えています。

 そしてそう考えるのは批評と批判のそれぞれのターゲットが違うと感じるからです。

 作品が読書体験(視聴体験)を生む過程を追いながらそのことを見ていきましょう。

 

読書体験の生成過程

 作品を読者が読んで読書体験を得るまでにどのような過程を経る必要があるでしょうか?

 まず当たり前ですが、作者が作品を書く必要があります。その過程も「作者がアイデアを思いつく」「構想を練る」「書く」「推敲する」など、更に細分化することが出来ます。

 そして作品ができあがります。次に作品は店頭や個人ブログなどに並びます。そしてそれを読者が読む。そうしてようやく読書体験が生まれます。

 大事なのは読書体験は必ずしも読んだそのときに生まれるものではないということです。人間には記憶がありますから、読んで数週間後にふと、あるいは何かのきっかけで「あれはああいう意味だったのか」と気付くこともあります。そこでもやはり読書体験は生まれています。

 これらの過程をもう一度おさらいしてみましょう。

 

 1:作者が作る → 2:作品ができあがる → 3:読者が読む

  → 4:読書体験が生まれる → 5:ハッと気づく → 6:読書体験が生まれる

 

 だいたいこんなところです。

 

批判の方向と批評の方向

 大まかに言って批判とは作品の欠点について「こうすればよかったのに」というもので、批評とは作品の読み方について「こういう読み方もあるよ」と提案するものです。(批評については個別にまた後日書くかもしれません)

 それを上の過程にあてはめて、時間軸上のどこに位置するのか見てみましょう。

 批判の場合、「こうすればよかったのに」と言ってるからには既に読んだということです。つまり「3:読者が読む」以降ということになりますね。

 そしてその批判の向かう場所は「こうすればよかったのに」と作者の動作に向いているので「1:作者が作る」です。

 つまり批判とは「3→1」つまり3の位置から1の位置への言及ということになるのですね。

 次に批評です。批評は「こういう読み方もあるよ」という提案ですから、少なくとも読んでいる必要がある。3の位置です。

 で、ターゲットはというと、これはいくつかありえます。批評を見る人がその作品を見たことが無かったなら3ですし、作品を見終わった後に批評を見たなら5の位置あたりでしょう。

 つまり「3→3’」または「3→5’」です。「’」を付けたのは別過程だからです。実際のところ3以降の過程はそれぞれの読者に対してあるわけですから、2から3へは一本道ではなく読者の数だけ分岐します。批評は別の読者へ向けた提案なので、別の分岐(「’」付きの分岐)への提案となります。

 3’のあとには4’が、5’のあとには6’が、それぞれあるわけですから、批評は新たな読書体験を生みうることになります。

 

 まとめると、

 批判は「3→1」と既に結果の出てしまった過去に向いているので結果論。

 批評は「3→3’」または「3→5’」と未来に向いているので前提論(?)。

 と僕は言いたいわけですね。

 

批判も前提論である

 一方で批判も前提論であるとみなすことも可能です。ただしそれは単一の作品に対してではありません。

 「3→1」は確かに過去に向いていて、すでに出来上がった作品に対して「こうすればよかったのに」と言っても仕方がありません。無益です。結果論です。しかしそれを作者が見て納得すれば、次の作品に活かすことはできるのです。

 このとき作品が違うのだから別過程です。「’’」付きを「次回作の過程」とすると「3→1’’」となりうるわけです。この場合は未来を向いている可能性があります。

 ただし逆に言えば、それは「作者が見て納得」「次の作品に活かす」がなければやはり無益だということです。

 ということは批判は作者に直接言わなければ少なくとも意味がありません。しかも納得させないといけないわけですから、独りよがりのわがままでは通りません。

 作者にではなく専ら読者の目につくところで批判を繰り広げている人、独りよがりの価値観で批判というよりわがままを発散している人、やめましょうね? 特にオタク

 

 逆に批評は作者というよりは読者に向いていると言っていいでしょう。たしかに「こういう読み方もあるよ」を作者が次回作に取り入れることはありますが、あくまで副次的な効果です。メインは同じ読者への提案ですね。

 

批評と批判の有益度の違い

 大事なのは批評も批判もまず読んでからやるしかないわけですから、3以降の位置からしかできないということです。そしてそのとき2が過去であることから、作品は既に固定されて与えられたもの、所与のものであるということです。

 この所与のものの「悪い点」に目を向けても、読者はそこから直接何かを得ることはできません。逆に所与のものの「良い点」に目を向ければ、読者はそこから良い何かを得ることが出来ます。

 これが批判と批評の違い、特に有益度の違いです。

 作品が既に固定され与えられたものであることから批判と批評の、そしてプラスの評価とマイナスの評価の非対称性が導入されるわけです。

 

 端的に言えば、プラスの評価の方が役に立つよ! ということです。

 そういうわけで、僕は作品に対しては専らプラスの評価を推奨し、すなわち「良い部分を探す」ことを推奨します。逆にマイナスの評価についてはあまり益があるとは思えませんね。