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話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

AKB化するネット社会

オタクの嫌いなところ話 その他のお話

※この記事で題材とするのは「外側から見たAKB」であって「真のAKB」ではありません。そのためAKBファンの方の目から見ればかなり見当はずれで非本質的かつ不平等な物言いになると思います。予めご寛恕下さい。

 

……

 

 僕はAKB48のメンバーをほとんど知りません。よくテレビに出ている方ですら名前を全部言えるか怪しいほどです。そしてそんな人は僕だけではないようで、「AKBのメンバーがわからない」ということが堂々と、時にはネタとして、悪い場合には批判の道具として使われる現状があります。

 しかしそう言う僕達の方は、果たして「誰が誰だか」識別されているのでしょうか?

 

匿名的なアイドルと匿名的な僕達

 僕はAKB48のメンバーをほとんど知りませんが、また同時に、ネット上で発言する様々な人々の事を知りません。ネット界隈では有名とされている方ですら、その大半を僕は知らないでしょう。仮に知っていたとしても、もちろんご本人を知っているわけではないし、顔も本当の名前も知らないことがほとんどです。

 このようなネットの性質、即ち「匿名性」は今に始まった事ではありません。システム的に明示的に匿名な「2ちゃんねる」はもちろんのこと、実名登録が前提となる「Facebook」でさえある程度の匿名性はあると言えるでしょう。

 特に「2ちゃんねらー」「ツイッタラー」や「はてな民」などと言うとき、そこに個人の顔はありません。集団でさえないと僕は思う。例えばある「2ちゃんねらー」のことを別の「2ちゃんねらー」は知らないし、認識さえしていないでしょうから。「2ちゃんねらー」になるための試験もあるわけではない。

 こうして考えると、「AKB」は僕達に実は結構身近な存在だと気付かされます。むしろ僕達の方が、AKBよりもずっとAKB的な存在であるとすら言えるかもしれません。

 

個人が敗北し匿名の群れが勝利する時代

 僕がこの記事を書こうと思ったきっかけがあります。それがこの記事です。

 インターネットで知識人、有名人を倒す方法 - しっきーのブログ

 (無許可で載せます、すみません。あまりはてなでのルールやマナーを知りませんが、まずければ撤去します。)

 非常に面白い記事です。

 ここで紹介されているのはタイトル通り「誰でも簡単にできる」ネットでの有名人の倒し方です。中身を見てみても、看板に偽りなしと感じます。実際にこういう人はいるだろうことも想像がつく。

 こうして見てわかるのは、ネット上の「有名人に対する勝利」が「誰でも簡単にできる」つまり個人の才能や能力に依存しない、環境そのものの力の成果であるということです。平たく言えば、有名人に勝ったからと言って凄いのはその人じゃなく、ネットという舞台の力だということです。

 かつて極めて強力だった「個人」の力の象徴であるところの有名人は、今やたやすく「誰でも簡単にできる」方法で倒される脆い存在となった。

 そして現代のその兆候は、ネット以外からでも観察できるかもしれませんね。

 例えば音楽業界。

 ある種匿名的な存在であるところのAKBグループに対して、売り上げの面で立ち向かえているのはジャニーズやエグザイルや他のアイドルくらいではないでしょうか?

 ここでもやはり、個人は敗れ去り、匿名の群れが勝利する傾向が見られるわけです。

 

ネットにおける個人の無限の弱さ

 僕が上で紹介した記事を読んだときに思ったのは「これは有名人以外にも使えるな」ということでした。

 そしてそう考えた途端思い浮かんだのはいわゆる「バカッター」という言葉。すこしの火種さえあれば、有名人相手でなくても実際に応用できるのです。

 そして恐らく、ことはバカッターだけでは終わらないだろうとも思いました。これから時代がすすむにつれて、ありとあらゆる場面で「個人VS匿名」の構図、そして「個人の敗北、匿名の勝利」という結果が生まれるだろうと思いました。

 つまり「匿名」の中に入って有名人に勝利しえたある個人は、別の場面では「匿名」によって捻り潰されるだろうな、という想像です。当然それは他人事ではありません。僕自身もある場面では匿名に押し潰されるだろうな、と想像しました。

 有名人をも倒しうる力の源は個人ではなくネットという環境なのですから、もちろんすべての人に対して牙を剥きうるのです。安全な「個人」の場所などあるはずがありません。

 ネットにおける個人は、無限に強く、また無限に弱いとも言えるわけです。

 

スキャンダルに対する鉄槌

 こうして見ると、これまで僕にとって違和感でしかなかった「アイドルの恋愛スキャンダルに対する異様なほどのバッシング」にも説明がつく気がします。

 それはまさに「匿名」の中で勝利者だった筈の「個人」が「匿名」の牙に遭遇した瞬間でした。

 そしてバッシングの欲望は、個人のというよりはネットという環境の欲望だと観察するべきでしょう。

 

無力な匿名者

 また別の例もあります。

 そもそもネット上の匿名的な人々の典型的なイメージからすると、AKBはむしろ「叩く対象」ですよね。その「叩く対象」と彼ら自身が似ているという事自体、不謹慎ですがすこし面白い。そこで見えてくるのは彼ら「匿名者」の個人の側面、つまり脆弱な部分です。

 彼らがどれだけ叩いたところで、AKBは売れ続け、テレビに出続けます。(まぁ実際のところ売り上げの推移などは知りませんが)

 つまり彼らは「匿名」としては有名人を倒しうるほど強力だけど、個人としてはやはり無力だということです。AKBや、あるいはAKBファンといった別の匿名には太刀打ちできません。

 ここから逆にたどれば、「匿名」がどのように強力なのか、その強力であることの「仕方」が見えてきます。

 つまり「匿名」はその構成員に多大な力を与えるものの、それは必ず「個人」としての成功に資さない形を取る、ということです。有名人を叩くことで有名になる人はいない、ということですね。実際のところは知りませんからもしかしたらいるのかもしれませんが、そうして有名になったその人もやはり匿名に食い潰されるでしょう。

 

攻撃力と防御力の不均衡

  さて、このような誰もが「個人としては脆弱だが、匿名としては強力」であるような社会において、何が起こるでしょうか?

 僕は結構自明だと思う。誰だって「匿名としては強力になれる」のならなるべく匿名としてありたいと思うでしょう。そしてその強力さを試し、誇示したいと思う。

 結果として、おそらく人々は積極的に匿名として個人を攻撃したがるようになると思います。これは個人に起因する欲望というよりは、環境に起因する欲望と見るべきだと思うし、前述のバッシングがその典型例です。

 しかし実のところこの構図は危険で滑稽でもある。人々が匿名として生き、個人への攻撃を増加させるに従って、その当人が「個人」として匿名に攻撃される確率も上がるわけですから、これは端的に言って自爆であり自殺なんです。

 もっと生きやすくなろうと匿名としてストレスを発散する日々を送るたび、個人としての彼は生き辛くなるでしょう。

 勝利と敗北、幸福と不幸の原因が同じ一つのものであるこのような社会は、攻撃力が異様に高くて防御力が異様に低いキャラばかりの、ゲームバランスの狂い切ったバトルロワイヤルゲームの様相を呈す事でしょう。

 そしてそのキャラクターあるいはプレイヤーは個人ではなく匿名なのです。

 

「匿名」達の社会

 匿名的な存在はネット社会の至るところに生息しています。

 例えば「オタク」、「ゆとり」や「非ゆとり」、「DQN」に「リア充」、「ニコ厨」や「なんJ民」、「真面目系クズ」や「意識高い系」などなど。それらはもはや個人の性質を説明するものでも、個人の所属する集団でもありません。外側から「ゆるく」捉えられた経験の塊であり、その実態はほとんど無いと言っていいでしょう。にもかかわらず多大な影響力を持つ。

 すこしSF的な想像力を働かせるなら、人間社会の構成員が個人の脳細胞一つ一つではないのと同じ意味において、十年後数十年後の未来の社会の構成員は我々個人ではないのかも知れません。中心を欠いた脳としての個人が構成員であるのと同じように、中心を欠いた群れとしての匿名達によって成立する社会が来る、かも。

 少なくとも現代の人々が専ら「あるオタク」よりは「オタク」を、「あるDQN」よりは「DQN」を語りたがる傾向を見れば、あながち無いとも言い切れないと思うんですよね。そしてその傾向は、「あるAKBメンバー」を知らなくても「AKB」を語れてしまう(あるいは語りたくなる)ことと同形ではないかと。

 

MNN48(みんな48)

 人々の関心が個人ではなく匿名に向いている現在、AKBが売れるのも必然かなと思います。またAKB側から見ても、匿名に埋没することに対する精神的な抵抗は現代において薄れてきていると思う。そのことがAKBメンバーを増やし活躍させる準備にもなっているわけですね。

 タイトルの「AKB化」には様々な意味を込めているつもりですが、その一つは「匿名の中に埋没することへの抵抗の薄れ」です。これが進めば進むほど、個人から匿名へ、主体は移って行くことになる。

 一方でAKBに深くハマればハマるほどそれとは逆の兆候が見えてきます。AKBファン達は匿名の中から個人を探し出し「推す」ことで逆に自分という個人をも見出す。またAKBメンバー側も、AKBという匿名に埋没しながらも「自分を見つけ出してほしい」という欲望を余儀なくされる。

 匿名の中に埋没しながらも、いや、だからこそ、「個人としての生を生きたい」欲望はいや増しに高まることでしょう。その欲望を断念させるものがあるとすれば、やはりネットのような別の匿名の存在なのです。そしてその欲望の解決法は、結局のところAKBメンバーとAKBファンのような形しかありえないのかもしれません。

 つまり「誰が誰だかわからない」社会において、「誰が誰だかわからない」とされている群れの中に飛び込み、「誰が誰だか」識別する。そうすることによってしか、識別される事も無いのかもしれません。

 でもそれは、個人が弱く匿名が強い社会においては結構苦しい生き方かもしれませんね。