話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

ラッスンゴレライ徹底解剖!

 ラッスンゴレライってなんですの?

 ということで、昨今「どこが面白いのか分からない」「笑いどころが分からない」といわれがちな8.6秒バズーカのネタ「ラッスンゴレライ」のネタ上の意味について、徹底的に解剖したいと思います。

 ただし、予め断わっておきますがこれを読めばラッスンゴレライが面白く感じるようになるわけではありません。むしろお笑いのネタばらしほどサムいものはない。ただそれでも、「面白くない」という人には別の視点を、「面白いけどどこが面白いのかはわからない」という人には自分の感覚を理解するきっかけを、それぞれ提供できたらと思い、書いてみます。

 

ネタ

ラッスンゴレライ  (不条理)

え?え?なんて?
ラッスンゴレライ ラッスンゴレライ
ラッスンゴレライ説明してね  (無茶振り)

いや ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん  (リズム変更)
ラッスンゴレライってなんですの?  (ツッコミ)
説明しろと言われましても意味わからんからできまっせーん  (更にツッコミ)

ラッスンゴレライ ラッスンゴレライ
楽しい南国 ラッスンゴレライ  (前振り)

いや ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん
ラッスンゴレライってリゾートなん?
でも南国ゆうても色々あるよ
バリ、グァム、ハワイ、どれですの?

ラッスンゴレライ ラッスンゴレライ
彼女と車でラッスンゴレライ  (同じ前振り)

いや ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん
嘘はついたらいけません
彼女と車とかゆうてたけども
彼女おらんし車ないやーん  (スカシ:そっちかい)(ツッコミ)(暴露)

ラッスンゴレライ ラッスンゴレライ
キャビア、フォアグラ、トリュフ
スパイダーフラッシュローリングサンダー  (スカシ)

いや ちょちょちょっと待て お兄さん  (変則リズム)(タメ)
ちょーっとお兄さん
そこラッスンゴレライちゃいますの  (ツッコミ)(お約束)
意味わからんからやめてゆうたけど
もうラッスンを待ってまっすん  (駄洒落)(代弁)

スパイダーフラッシュローリングサンダー
スパイダーフラッシュローリングサンダー
電車に乗る時スパイダーフラッシュローリングサンダー  (過剰)(天丼)

いや ちょちょちょちょちょっと待てうぉにさん  (変則リズム)
ちょーっとお兄さん
ラッスンゴレライゆうてぇな  (ツッコミ)
スパイダー フラッシュ ローリング サンダー
プロレス技かなんかですかーい  (ツッコミ)

ラッスンゴレライ ラッスンゴレライ
サウジアラビアの父さんと インドから来たお母さんの  (唐突な歌)
間に生まれたお前 の名は ラッ スン ゴーレーライ

ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん  (ノリツッコミ的動作)
俺サウジとインドのハーフちゃう  (ツッコミ)
日本の父 日本の母 間に生まれし俺はジャパニーズピーポー

ラッスンゴレライ ラッスンゴレライ
Oh Mickey, you're so fine ラッスンゴレライ

イェイイェイ
何言ってんのよお兄さん  (ツッコミ)
Oh Mickey, you're so fineってもしかして?  (気付き)
Oh Mickey, you're so fine
You're so fine, you blow my mind,
hey Mickey(heyhey)
hey Mickey(heyhey)
Oh Mickey, you're so fine
You're so fine, you blow my mind,
hey Mickey(heyhey)
hey Mickey(heyhey)

歌ってみたけどラッスン分から~ん

絶対教えんラッスンゴレライ

絶対教えんラッスンゴレラ~イ

いや ちょっと待ってちょっと待って(あじゃした~)

教えてあげないラッスンゴレラ~イ

いや ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん(あじゃした~)

 

解剖

 さて、以上が「ラッスンゴレライ」の基本的なネタです。一部が別のネタで置き換えられたりといったヴァージョン違いもあるようです。

 ネタの横に付けた(~~~)は笑いの構成要素となっている部分の説明です。((あじゃした~)は違います)ただしすべてを網羅しているわけではありません。特に「ラッスンゴレライ」の根幹部分とも言えるリズム的な笑いどころはあえてほとんど無視しています。

 こうして見ると「不条理」に始まってボケとツッコミのお笑いの基本から、「天丼」「スカシ」といったもうすこし特殊な笑いまで、かなり多彩な笑いを盛り込んでいる事がわかりますね。特に駄洒落まで取り込む貪欲さには脱帽です。

 それでは個々の笑いについて追ってみましょう。

 

不条理から枝分かれする笑い

 このネタの根幹には「リズム」と並んで「不条理」があると言えるでしょう。「ラッスンゴレライ」という意味不明の単語、ネタが進めば進むほどその正体は掴めません。そしてそんな不条理さから、他の多彩な笑いが枝分かれするのが「ラッスンゴレライ」だと言えます。

 例えば「ラッスンゴレライ」という意味不明で不条理な言葉を突然「説明してね」と振られる「無茶振り」。ここでその後も定型となる「いや ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん」の転調は、テレビ番組で実際に芸人が無茶振りされた時のあの焦りぶりを彷彿とさせます。(このような「思い出させる」構造はこのネタの随所にちりばめられていますが、それについてはまた後ほど)

 他にも「楽しい南国 ラッスンゴレライ」という第一のヒントに次ぐ「彼女と車でラッスンゴレライ」という第二のヒント。この二つのヒントに相関性はほとんど見出せません、矛盾しているとさえ言えるでしょう。つまりここにも「不条理」がある。そしてその後に来る「嘘はついたらいけません」というツッコミで、視聴者は頷く。「そうだよな、どう考えても矛盾してるもん、二つのヒント」とそう思った矢先、続く言葉は「彼女と車とかゆうてたけども 彼女おらんし車ないやーん」というまったく予想だにしなかったツッコミ。これは完全にいわゆる「スカシ」の構造ですね。しかもツッコミでスカすというなかなかテクニカルな一発。

 このように、「ラッスンゴレライ」というひとつの不条理から幾多のボケに繋がるというのが、このネタの基本構造であると言えるわけです。

 

メタ的な笑い:天丼

 また、いまひとつのこのネタの特徴として「メタ的な笑い」があります。前述の「スカシ」もそうですね。それ単体としてはなんでもないような言葉でも、それまでの文脈を裏切ることで笑いを生む、というメタ的に配置された笑いが「スカシ」であるわけです。

 そしてまた、このネタには「天丼」も盛り込まれています。一番顕著に表れているのは、それまでの流れでラッスンゴレライが来ると思わせたところで「スパイダーフラッシュローリングサンダー」というスカシを放り込んだその次、更にまた「電車に乗る時スパイダーフラッシュローリングサンダー」と繰り返すことで「またかい(笑)」といった笑いを生んでいます。更に三回も同じ単語を繰り返す「過剰さ」による別の笑いをも生んでいる。もはやどこに笑えばいいのか迷うレベルですね。

 またこうした技巧の連続は、更に高いレベルでのメタ的な笑いも生みます。つまり「あ~、不条理ネタだな」と思ったら「スカシ」が飛んできて、かと思えば「天丼」が来る。そういった「~ネタだな」という期待への裏切りがメタ的なスカシとして「~ネタだな」と予想しながら見る人には効いてくるわけです。

 更に、そうして様々な笑いを見せられるぞというところを見せたところで唐突に飛んでくる「もうラッスンを待ってまっすん」というベッタベタで完成度の低い「駄洒落」。ここでそれまでの技巧に目が行っていた人は「がっくん」とまた強烈なメタ的スカシを食らうわけです。

 こうして幾重にも重ねられたメタ的な笑いの層が、見る人によっては形成されていきます。

 

記憶と文脈

 そう、「見る人によっては」なのです。スカシというのはそれまでの文脈や期待を裏切ることで成立しますから、文脈を意識してお笑いを見たり、「次どう来る」と期待と予想を持ってお笑いを見たりといったことをしない人にとっては、それは「笑い所」でもなんでもないのです。

 そこが恐らく「どこが面白いか分からない」と言われる一つの要因でしょう。このネタは良くも悪くも文脈を読み取ることを前提として組み上げられた笑いが多すぎて、実は世間一般のイメージとは真逆に「人を選ぶ」部分が多分にあるのです。

 そしてその傾向は前にも述べた「思い出させる」構造にも表れています。

 例えば初っ端の「いや ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん」の転調が無茶振りされた時の芸人のそぶりのメタファーとして機能しうることは、普段テレビで無茶振りをされた芸人をよく見ている人でなければ気付きえません。それは気付けばちょっとした「面白さ」に繋がりますが、気付かなければそれで終わりです。

 そのほかにもネタ全体を覆う極端な関西弁・大阪弁もまた、それらに普段から接している人とそうでない人では反応が変わってくるでしょう。他者を「お兄さん」と呼ぶお笑い業界の文脈や「Oh Mickey, you're so fine」のような記憶を刺激する「気付き」による笑いも、知識や記憶に依存するために人を選ばざるをえません。

 そしてなによりこれまでに述べたネタの多彩さこそが、逆にネタの中心部分を分からなくしてしまい「で、結局どこが面白いの?(どこが笑いどころなの?)」ということが容易には汲み取れない構造になってしまっていると言えるのです。(このあたりはテロップに笑い所を「指示」される事に慣れてしまった現代人の笑いの感性の変化とも関わってくる部分かもしれません)

 しかし一方で、不思議な事にこの「人を選ぶ」ネタは、中高生を中心としたライト層に重点的にウケている現実があるのです。

 

人を選ぶ笑いと選ばない笑いの融合

 僕がこのネタを最も評価したい点は、お笑いの文脈に依存した(そのため見る人によってはかなり面白いが、そうでない人は多分にいる)ネタを「リズムネタ」というキャッチーな枠に流し込むことで、見事に大衆受けを成し遂げてしまった点です。

 しかも、そのキャッチーさが非常に堂に入っている。「ラッスンゴレライ」を否定的に見る人たちの中にも、そのリズム的なキャッチーさは認める、という人は結構いるんじゃないでしょうか。そしてそれは単なるリズムのみによる成果ではありません。大阪弁独特の波打つイントネーションが、リズムの快感と相乗効果を上げているのです。

 また第二に、リズムネタとしての進歩が挙げられます。

 これまでのリズムネタを考えると、例えば「なんでだろう」あるある探検隊は「あるあるネタ」、武勇伝はその無茶な武勇伝、ラララライ体操は日常の動作がエクササイズに繋がる「気付き」の快楽、あたりまえ体操はあたりまえな事を改めて言う面白さ、など、どれも「中心的な面白さ」を持っています。ために、言い方を変えれば「一辺倒」とも言えてしまう。それは良さであるとともに反面欠点でもあるわけですね。同様にして「どこが面白いのか分からない」ラッスンゴレライの面白さの中心の欠如は、欠点でありながら同時に優れた点でもあります。それはこれまでのリズムネタには無かった「面白さの種類の多彩さ」の結果であり、この点はリズムネタ全体の進歩と言っていいと僕は思います。

 惜しむらくは、現代の物事を単純化して見る・見たがる人々には、この奇跡的な大衆性と技巧性による両義性が理解されないということです。

 すこし毛色の違う話になりますが、現代に典型的な決断主義的感性は、静的で閉じた共同性を生み、その中でイメージの誤配とノイズを排除するために排他的な性格を帯びます。要するに、「大衆向け、中高生向けでレベルが低い」ものはレベルが低くなければならず、間違っても「人を選ぶ、文脈に依存する」といった性格は帯びてはならないし、「レベルが低い」という印象を壊すものには容赦なく攻撃を加えてしまう、そういう性格があるわけです。

 そのため、「ラッスンゴレライ」の技巧的な側面はほとんどの場合見向きもされません。かといってまさか本人達が「じつはここはこういう意味があるんですよ」などと解説するわけにもいかない。そういう行き詰まりの中で、どうにかしようと書いてみたのがこの記事だったというわけです。

 以上。どうだったでしょうか? すこしくらいはラッスンゴレライの印象が変わっていれば、幸いです。