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話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

実のある議論のはじめかた

 よく「この議論は建設的ではない」「その意見は建設的ではない」とか言ったりしますよね。

 ところでこの「建設的」ってどういうことでしょう? なにか建てればいいんでしょうか? 大工さんが得意そうです。

 ということで今回は、建設的で実のある議論をするためにどうすればいいか?僕なりに考えてみました。といっても大したことはありません。やろうと思えばすぐにでも実行できるごく簡単なものです。

 

 建設的ではない議論

 そもそも「建設的/建設的でない」とはどういうことなのでしょうか?

 簡単に言えばそれは「得られるものがあった/なかった」という議論の成果物をもとに考える視点です。

 では「得られるもの」とは? それは「議論における最終的な結論・妥協点・同意点」だと言えるでしょう。

 言ってしまえば、最後に一部分であれ同意で終わらない議論には、意味は無いわけです。

 考えてみれば当たり前の話で、他者の同意を得る必要がないなら自分ひとりで考えていればいい。わざわざ議論を吹っ掛ける意味は、最終的な同意によってしか支えられえないわけですね。

 よく「論破」という、まぁ少々恥ずかしい言葉の飛び交う議論がありますが、あれは実際には議論と呼ぶべきものではないでしょう。ただの喧嘩です。

 最終的な同意が目的であるのに「論破」してしまっては意味がありません。本末転倒もいいところです。

 

最終的な同意に繋げるために

 僕が建設的でない多くの議論に欠けていると思うのが、こうした「議論の目的」に対する認識の欠如です。「議論は最終的に同意するためにある」という認識さえあれば、その目的に合わせた「建設的な議論」のフォーマットを設計するのはそれほど難しいことではありません。それが出来ないのは、単に、目的を知らないからなのです。

 「議論は最終的に同意するためにある」ことさえ分かれば、あとはもうそれに合わせて議論を設計していくだけです。では実際にやってみましょう。

 まずはイメージして下さい。最初はいがみ合い、対極的な立場にあった二人が、最後には手を取り合い、朗らかに同意し合うイメージです。始点と終点、始状態と終状態をイメージすれば、その間を何で埋めればいいか、分かるようになります。

 とはいえ今回はなかなか難しいですね。いがみ合っていたのにいつしか手を取り合う、一体二人になにがあったのか?

 ところで僕達には、こういう場合非常に便利な道具があります。

 それは「論理」です。

 この道具が便利だからこそ、議論では多くの場合論理が用いられるわけですね。理由無くではないんです。

 ここで注意して頂きたいのは「論理」は世界の真理を凝縮したようなものではないということです。「論理」とはただ単なる方法論であって、また別の言い方をすれば複数の命題の間の「関係性」を描写するものです。

 簡単に言えば「コレとアレとは同じ意味である」というようなことを延々と繋げていくのが、論理の実態だと僕は考えます。

 ここで「アレ」は議論における結論だとします。もし「コレについて僕とあなたは同意できる」なら、「コレとアレとは同じ意味である」ことさえ分かれば「アレについても同意できるね」となるわけです。

 ここで判明するのは、なんにしろ、「コレ」が必要だということです。

 

同意できる前提条件の設定

 ここです、多くの議論が失敗している難所は。ここさえ越えればあとはどうということもありません。

 多くの場合誤解されている(と僕が思う)のは、「どんな場合でも議論はできる」ということです。そんなことはありません、むしろ議論が成立するための条件は考えれば考えるほどせまい、偶然的な要素に支えられたものです。

 二人の人間が最終的に「アレについて同意できる」ためには、「コレとアレとは同じ意味である」ような「コレ」の存在が不可欠です。つまり、少なくともなにひとつ同意できる事柄の無い両者の間では、絶対にどのような議論も成立しません。

 議論というのは、考えれば考えるほど馬鹿げたものです。というのも、「アレについて同意する」ためにアレと同値である(あるいは含む)ようなコレがあって、予め「コレについて同意」している必要があるからです。つまり、なんのことはない、最初から二人は「アレについて同意している」のです。本人たちが分かってないだけで。

 要するに、議論が存在するのは単に「人間が馬鹿だから」以外に理由は無いわけです。もし人間が同値である全ての命題を一瞬にして見渡すような知能を持っていたら、議論など必要ありません。

 さて、話が逸れました。「建設的な議論」のために一体何が必要なのか? 簡単です。「コレ」があること、それだけです。

 

試合の前に握手

 建設的な議論を行うための議論のフォーマットを示しておきましょう。とても簡単な、以下の手順さえ守れば、議論が可能な場合には(それは偶然的な要素に左右されます)建設的な議論を進められる筈です。

 

前提:議論する両者の間で共有できる、同意できる命題や価値観(前提条件)を探る

論理:設定した前提条件と同値な命題をひたすら探す

結論:前提条件と同値な命題が議題に答えを出したとき、同意する

 

 さきほどの「コレ」「アレ」で考えれば

 

前提:コレについて僕とあなたは同意できる

論理:コレとアレとは同じ意味である

結論:アレについても同意できるね

 

 こうなります。簡単ですね。これだけです。

 重要なのは、最初にまずなんらかの点で同意しておくということです。多くの失敗する議論にはコレが欠けています。だから「論破」とか言ってしまうハメになるわけです。

 試合の前に必ず握手をしましょう。それが試合を成功させるための、たったひとつの方法です。

 

議論が不可能なケース

 最後に、こうした建設的な議論が不可能なケースを考えてみましょう。前に示した「前提」「論理」「結論」の各ステージに即して考えればすぐに分かります。

 まず「前提」……は最後に取っておくとして、「論理」が不可能なケース。これは単に議論における両者の論理的思考能力が十分でないケースですね。どちらか一方が十分な論理的思考能力を持っていれば、十分に同値な命題を挙げられますから問題ありません。

 次に「結論」が不可能なケース。どちらか一方でも論理的思考能力が十分でないとここにひっかかる可能性があります。つまり、片方がいくら前提条件と同値な命題を無限に出しても、それが「同値である」と理解できないと結論まで繋げられないわけですね。

 他にも、前提条件と同値であることを示しているのに、議論に負けなくないせいか(議論は勝ち負けではないのですが)意地になって認めない、最後に同意できないケースもありえます。

 最後に「前提」が不可能なケースですが。これについてはこれまで語ってきました。最初になんらかの部分で同意しない議論は、多くの場合失敗します。このステージを疎かにすると他のステージでどれだけ頑張っても無駄だとすら言えると思います。

 でも、難しいですよね。結論と実は同値であるような命題を先回りして「前提」しておかなければならない。まるで予知能力者のような振る舞いを求められるわけです。でも、本来なんらかの意見や考えが「正しい」と考えるためには実際にそれが出来てる必要があるわけですから、仕方ありません。

 実際の議論としては正しい「前提」を探すために多くの時間を割く必要があるでしょう。

 つまり、

 

「前提」→「論理」→「前提」→「論理」→「前提」→「論理」→……→「結論」

 

 というモデルが実際に適ったものだと考えられます。

 こうして考えると、「議論」がそもそも成立するために、いかに偶然的な要素に支えられているかがわかります。両者が適切に論理的で、意固地にならない程度の人格を持ち、まず「前提」が必要であることを知っている必要がある。そしてなにより偶然的なのは、結論と同値な命題について「たまたま」両者が同意して前提できる、というこれ以上ないほどの偶然が必要だということです。

 建設的で実のある議論にするために、「最初に同意する」ことと合わせて是非意識して頂きたいのは「議論が必ずしも可能だと思わないこと」「議論が可能な相手か(自分か)考えてから議論すること」「議論が成功するかは運なんだから、ダメでもともとと考えること」そして「少なくとも議論が可能な自分であるよう努力すること」です。

 以上、いかがでしたでしょうか?

 建設的で実のある議論のために、僕の示した方法を活かして頂ければ幸いです。