話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

電車内の化粧と匿名性

 電車内で化粧をすることの是非が最近話題になっています。

 僕自身は「電車内で化粧してもいい」という考えです。これまでに不快だと思ったこともありませんし、「非常識」とか「みっともない」の基準は時代によって変わるもので、そのことを自覚していないと取り残されます。昨日の非常識は明日の常識、昨日のみっともないは明日の問題ない、くらいに考えていますね。

 と、そのことは別にいいんです。僕がどっち派だろうが知ったことではありません。

 ただ、そもそも「電車内で化粧をするなどマナー違反だ」と言ってる人が、自分ではマナーを守っているのか疑問に思う場面がいくつかあったので、そちらを考えてみたいと思います。

 

マナー成り立たないネット空間

 そもそも、「マナー」というものがきちんと機能していると思えないネット空間において(はてなはかなりマシな部類とは思いますが)「マナー」を問うことはそれほど有効なのでしょうか?

 容姿差別的な言動や男女差別的な言動、そのほか様々な罵詈雑言があふれるネットで「マナーだからダメだ」「不快に思う人がいるからダメだ」って、正直なところ冗談を言ってるのかな? と思ってしまいます。

 もし仮に、普段ネットで多くの人を罵り、差別的言動を繰り返す人が「マナーだからダメだ」「不快に思う人がいるからダメだ」とか言い出したら、それは間違いなくギャグですよね? そして電車内での化粧を批判している人たちのうちどれくらいが、ネットでこのような行動をとったことが無いと言えるのでしょうか?

 そう考える一方で、ネットという匿名的な空間と電車内という公共的な空間では話が違う、という意見も考えられます。

 でも、

 すこし考えてみると、本当にそうだろうか? と思えてくるわけです。

 本当に電車内はネットとは違うのか?

 

都市の匿名性、電車内の匿名性

 電車内での化粧に対する批判の中に「自分の存在を無視されているようで腹が立つ」という意見がありました。

 そしてこれは電車内の化粧に限った話ではないと僕は思います。基本的に人の多い都市に住んでいれば、行き交う人々にいちいち注目したりしませんし、関心も向けません。電車内では特にその傾向は強いと言えます。

 電車は、見知らぬ人々が一つ所に集まって一定の時間を共有する空間です。その見知らぬ人々にいちいち関心を向けるケースは少なく、ほとんど「無視」と言っていいような関係性が自然と築かれます。そして互いに見知らぬ以上、一定の匿名性が満たす空間でもある。

 ネットとまったく同じとまでは言えないまでも、ある程度匿名性において共通する部分が電車内にはあるのではないでしょうか?

 

人をふり見て我がふり直せ

 僕はこの話の結論を「だから電車内の化粧も許しましょうよ」という方向に持っていく気はありません。

 電車内の化粧をマナー違反だと思い、そのマナー違反を許さないならそうすればいい。

 そして当然ながら、そのことはあなた自身にも返ってきます。

 自分もまた電車内で化粧できない、のは当然にしても「マナー違反だからダメ」というロジックを用いるのであれば自分もまた他の場面での「マナー違反」を自分に許してはいけないし、「他人を不快にするからダメ」というロジックなら当然他人を不快にする言動を他の場面でも慎まなければなりません。

 果たしてあなたにそれができるのですか?

 という問題です。

 また、これはある種の「マナーの押しつけ」の問題とも関連します。電車内での化粧をマナー違反だと思っていない人に「自分はマナー違反だと思うから」押し付けるのであれば、自分が他者からその人独自のマナーを押し付けられるような場合も許容しなければなりません。

 果たして、これらすべての条件をクリアできるような聖人が、他者の化粧にだけは不寛容なんてケースがありうるのでしょうか?

 もちろん、ありえないとは言えませんね。個人的には電車内の化粧の自由と引き換えにネットから罵詈雑言が姿を消すなら、女性には申し訳ありませんがそこそこハッピーエンドかな、と思います。もちろん、そうはならないでしょうが。

 そしてネットから罵詈雑言が姿を消すことが無ければ、電車内から化粧が姿を消すこともありえませんよ。

 そしてだとすれば「何のために批判するのか?」という問題にもなってくる。

 電車内での化粧批判がその実、電車内での化粧をなくす力を持たないなら、一体それは何の役に立っているのでしょう? 一部の女性を不快にする役には立っていそうですね。ところで、他者を不快にするようなことはやってよかったんでしょうか? やってはいけなかったんでしょうか?

 

 というように、どうも電車内での化粧批判にはいろいろと問題がありそうだな、と僕は思いますが、いかがでしょうか?