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話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

「ワンピースはドラゴンボールより面白い」

オタクの嫌いなところ話

 「ワンピースはドラゴンボールより、それどころかこの世の多くの創作物より面白い」と僕は断言することができます。

 何故ならワンピースはドラゴンボールより、それどころかこの世の多くの創作物より批判を受けているからです。

 

「批判がなければ文化は腐る」「批判は作品を成長させる」という考え

 どうして批判が多ければ面白いと言えるのか? その話を始める前に、まずはワンピースの「基礎力」の高さを確認しましょう。

 ここで「基礎力」とは「批判を受ける前の力(面白さ)」のことです。ワンピースは連載当初、批判が拡大する前から大きな人気を誇っていました。現在のワンピースを批判する人の中にも「~編まではよかった」という人は少なくありません。

 つまり「批判による面白さ向上」の効果を確認するまでもなく、ワンピースはまずそれなりの「基礎力」を持っていたことが分かります。

 ただし、この時点では「ドラゴンボールより」とは言い難いかもしれない。

 そこで出てくるのが「批判による面白さ向上」の効果です。

 ワンピースのみならず、あらゆる作品を批判する多くの人は口々に「批判が無ければ文化は腐る」「批判は作品を成長させる」と自己の批判を正当化します。ということは、批判は創作物の面白さを向上させる効果を持つわけです。

 といってもある人が作品を批判したらたちどころにその作品が面白くなるわけではありません。批判によって欠点を指摘され、それを修正することによって作品は更に面白くなることができるわけです。

 

批判を受け止めている、としか考えようが無いワンピース

 当然ながら、「批判は作品を成長させる」という言葉はそれだけでは不十分です。

 先程も書いたように、いくら批判がその作品の欠点を指摘したとしても、その指摘を作者が受け止め、作品に反映させなければ意味が無いからです。

 つまり「作者に受け止められる批判は作品を成長させる」と言い換えるべきでしょう。

 ところで、ワンピースが諸々の批判を受け止めていないと考えることは不可能です。

 何故ならワンピース批判は、批判者本人が言うように作品の腐敗を防ぎ、作品を成長させる効果を持っているべきだし、とすれば自動的にワンピース批判は「作者に受け止められる批判」ということになるからです。

 つまり、ワンピースはあの膨大な批判のすべてを受け止め、作品の成長に役立てているとしか考えようがありません。でなければ一部あるいはすべてのワンピース批判は作品の腐敗防止や成長寄与の効果を持たず、ただ人を不快にさせる効果しか持たない、百害あって一利無い、ただの暴言にしかなりえません。そして実際はそうでないことは批判者の方の同意するところと言えるでしょう。

 

「~編まではよかった」という嘘

 ここまで考えると「~編まではよかった」というよくある感想が嘘であったことが容易に分かります。

 「~編まではよかった」と言われる「~編」は作品の前半、つまり「基礎力」の部分に該当することが分かりますが、その後のワンピースはこの「基礎力」に加え「批判による成長」があるわけですから、「~編以前」より「~編以降」の方が面白くなるのは当たり前です。簡単な足し算の問題ですね。

 

ドラゴンボールより面白い(=批判を受けている)ワンピース

 ことここに到って「ワンピースはドラゴンボールより面白い」ことは明らかです。基礎力でこそドラゴンボールに敵わなかった(かもしれない)ワンピースも、受ける批判の多さでは圧勝です。これはネットという環境の整備の面も大きいことを考えるとドラゴンボールがすこし不憫ですが、仕方がありません。

 確かにドラゴンボールも連載時に批判を受けていたのでしょうし、それによって成長もしたのでしょう。しかしワンピースの批判され具合から見ると、見劣りするというのが正直なところです。加えて、ひとつひとつの批判の質も高い。まさか「ワンピース批判よりドラゴンボール批判の方が的を射ている」なんてことは無いでしょう。だいいち、そんなことはワンピース批判者の方々がお認めになりません。

 そしてドラゴンボールのみならず、この世の多くの創作物よりもワンピースが抜きんでていると考えられる根拠は、なんといっても「連載中に批判を受けている」というワンピースの強大な強みです。前述のように、いくら批判を受けてもそれを作品に反映させなければ意味がありません。漫画なら連載期間、映画なら撮影期間、小説なら執筆期間に批判を受けなければいくら量が大きくても無意味だということです。その意味でワンピースより優れている可能性のある作品はかなり少ない。NARUTOは世界的な人気を考えると批判も多そうですから好敵手になりうるかも知れません。

 

「人気=面白さ」という図式の間接的正当性

 そう、批判の多さを考える上で「人気」という要素は非常に強力なファクターになります。

 人気が高ければそれだけ批判を受ける機会も多くなる。となれば、それだけ成長の機会にも恵まれます。

 逆にマイナーなものというのは批判を受ける機会にあまり恵まれません。まず知名度が無いので批判者になりうる読者が少ないし、その読者にしてもマイナーなものを読んでいる時点でそういうものを好みやすい(批判者になりにくい)という選別が既にかかっています。

 こうして、人気なものは更に批判されることで更に面白さを得て、マイナーなものを引き離す。どんどん差が開いて「人気=面白さ」という図式が間接的に実現される事が分かります。

 

「役に立たない批判」のありえなさ

 ところで批判者の方の中には「俺はただ自分の思った批判をしているだけで、作品を成長などさせない」という謙遜をなさる方もいるかと思います。

 でも、過ぎた謙遜は嫌味というもの、それにもし本気で言っているのであれば、それは自己の過小評価でしかありえません。

 何故なら批判者の方はちゃんと作品の「優劣」を嗅ぎ分けることができるからです。

 最近は「作品に優劣など無い」「人それぞれ」なんてことを言う人もありますが、本当にそのことを信じているケースは稀だと言えるでしょう。「優劣など無い」「人それぞれ」と嘯きつつも、いざ「ドラゴンボールドラえもんなど往年の名作と最近の萌えしかない作品の間に優劣が無い」「純文学作品とライトノベルの間にも優劣など無い」と言われれば流石に違和感を覚える人が大半です。ことによると「優劣など無い」と言いながら「ワンピースよりドラゴンボールの方が面白い」なんてことを言い出す始末です。彼らは本気で「優劣など無い」「人それぞれ」だとは思っていないので、特に気にする必要はありません。

 そして「優劣」なるものが確固としてあることが分かった今になってみれば、それを批判者の方々が嗅ぎ分けられないと考えるのは不思議というものです。侮辱と言ってもいいでしょう。ましてやワンピースをただ肯定するだけのいわゆる「信者」の方よりもその感性に置いて劣っているとなれば、そんなことはありえないとしか言いようがありません。

 つまり、批判者は必ずワンピースの「欠点」を見抜き、それを批判によって指摘する。となればあとはそれを作者が受け止め作品に反映するのみです。その部分について問題が無いことは「批判を受け止めている、としか考えようが無いワンピース」の部分で既に証明しました。加えて、もし「自分だけの基準」でワンピースを批判し、しかもそれが作品の成長に資さないなら、それは単純な「悪しき自分基準の押しつけ」「悪しき価値観の押しつけ」ということになってしまう。そんなことはありえないのは、まぁ言うまでもないでしょう。

 

批判という投資

 さて、こうして「ワンピースはドラゴンボールより、それどころかこの世の多くの創作物より面白い」ことが分かりました。

 そしてこのワンピースという一例から分かるのは「批判とは投資である」ということです。

 批判は対象作品の腐敗を防ぎ、成長させるために行います。そして作品は自分や他者の行った批判によって成長を遂げ、面白さを増すことで投資者である批判者に利益を還元する。

 無論、賢い人なら最初から魅力ある物件に投資します。「この作品なら批判すれば成長してくれるだろうな」という作品を選んで批判という投資を行うし、まず「基礎力」が高いものを選んで批判した方が効率的なのは明白です。つまり「面白いものほど批判される」。

 つまり批判を受ける量というのは、投資における成長という未来的観点で見ても、投資する際の選別条件という現在的観点で見ても「面白さのバロメータ」である、と言えるのです。

 あなたも「面白い作品が見たい」と思った時は「受けている批判の量」という観点で探して、より多くの批判を受けている作品を選んでみてはいかがでしょうか。

 きっととても面白い作品に出会えるはずです。