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話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

表現者・創作者の政治的発言についてどう受け止めればいいのか あるいは実写化のこと

 最近こんなまとめを見ました。

togetter.com

 結構長いですが、大まかな趣旨は最初の数ツイートを見て頂ければまずわかると思います。要するに、表現者の方の政治的発言を見るとガックリする、また嫌いになりたくないのでやめてほしい、ということですね。それが言論封殺であるとか自由の侵害であると批判されてもいる。

 僕も以前似たようなことを(理由や趣旨は違いますが)書いていたので、

q9q.hatenablog.com

 気持ちは分からないではない。でも、やっぱり表現者であれど政治に関して思うところはあるだろうし、それを表に出す自由を侵害していい理由にはならない。たとえ「嫌いになりたくない」という理由だったとしても、です。

 一方で、それを批判する側にもちょっと釈然としないものが僕の中にはあります。まずそれを見てみましょう。

 

他者性と分別

 「表現者は政治的発言をしないでほしい」という願いにも似た発言に対する批判の中には「表現者の味方のふりをしつつ自分の思い通りにしようとしている」「支配欲」「アイドルに処女性を求めるのと同じ」というものがありました。

 実際、まぁすこし言い過ぎなきらいもあるけれど、その通りではあるんですよね。似たような事は過去にも書きました。

q9q.hatenablog.com

  要するに、人は他人を対象化して、自分の想定のうちに留めておきたがるものなんです。だからこそ自分には理解できない・自分とは違う他者の側面=他者性を排除しようとする。今回の件ではたまたまその他者性が「政治的発言」だったということです。

  そしてそうした「支配欲」が醜いものであることもまたその通り。「表現者の表現・作品と当人の政治的思想や発言は切り離すべき、分別すべき」というのもその通りです。

 ただ

 批判する側は本当に同じことをしてはいない/しないのでしょうか?

 

もし立場が逆だったら……

  この批判側への指摘は、実は当人が既にされています。それもかなり鋭く。

  まったくその通りでしょう。全員が、とは言わぬまでも、多くの人が「政治的発言をするかどうか」ではなくその政治的発言の中身(もっと言ってしまえば「どちらの味方か?」)だけで「表現者の政治的発言を許すかどうか」の答えが180度変わってしまうのではないでしょうか?

 その意味で、少なくともこの方は左右関係なく「表現者の政治的発言には残念」という態度を貫いていると思うので、一貫性があるわけです。

  一方で批判側にこれほどの一貫性があるのかどうか、ということはなかなか疑わしい。

 というのも、この一貫性についてはまだ拡大の余地があるのです。

 

他者性の表れ ――恋愛、作風、実写化

  もう一度批判を見てみましょう。

 「表現者の味方のふりをしつつ自分の思い通りにしようとしている」「支配欲」「アイドルに処女性を求めるのと同じ」というような批判がありました。

 他者は思い通りにならないもの、そしてそれを受け入れるべきである(支配しようとすべきでない)ことはその通り。そして特に重要なのが最後で、まさにそう、アイドルに処女性を求めること=恋愛スキャンダルへの怒り もまた同根のものであると言えます。

 他にも、好きなものの他者性(政治的発言、自分以外への恋愛感情)の表れを嫌う身振りはいろんな場面で見られます。

  例えば好きな作品や作家やシリーズの作風の変化に対する忌避*1、例えば漫画やアニメの実写化に対する反感。例えば自分の作品への批判に対して反感を持つことすら許されない創作者や芸能人たち。

  これら多くの場面で、実に「普通」で「どこにでもいる」人たちの「味方のふりをしつつ自分の思い通りにしようとしている」「支配欲」「アイドルに処女性を求めるのと同じ」身振りを眺めることができます。

  要するに、こうした支配欲の表れは今回に限った話ではなく、また珍しい事でもない。多くの人が日常的に行っていることの一つのパターンでしかありません。

 であれば、

 「表現者は政治的発言をしないでほしい」という発言を批判する人たちも、実は同じことを別の場面ではしてしまっているのではないでしょうか?

 だから同じように支配欲を露わにしていい、ということではなく、他人を批判する前にまず自分の行動を見直してみてはどうか? と思うわけです。

 

 他者性の克服 ――分別

 では具体的にどうすればいいのか?

 答えは既に出ています。

 批判する側の人たちも「好きな作家・作品であっても、その政治的思想や発言まで気にする必要は無い」「分けて考えるべき」という“分別”を推奨していることが多いようです。

 要するに、分別すればいい。

 作品と作者の思想は「分けて」考えるべきだし、ステージの上にいるアイドルとスキャンダルを起こした一人の女性も「分けて」考えるべきだし、作風が変わった作家・作品・シリーズもそれぞれ「分けて」考えればなんの問題もない。当然実写化も同じです。

 よく「原作レイプ」なんてことが言われますが、それは原作と他メディア化(実写化、アニメ化)作品を「同じ」ように見ているからそう見えるだけで、「分けて」考えればレイプでもなんでもありません。『アンパンマン』を『北の国から』が原作レイプすることなんてありえないわけです。全然別の作品なんだから。

 ここで見えてくるのは「好きな作家・作品であっても、その政治的思想や発言まで気にする必要は無い」「分けて考えるべき」という要求が、実は存外に高い要求であるということです。

 実際いまの世の中に漫画やアニメの実写化への不満を「分別」によって無化し、あるいは我慢できる人がどれくらいいるでしょう? あるいはアイドルの恋愛スキャンダルを暖かく見守れる人は?

 自分にできないことを他人に要求する、これこそまさに「支配欲」の典型的な表れです。

 でも、

 それでもやらなきゃいけない。

 実際他者は思い通りにならず、支配すべきでもない、それは本当です。難しくても、高い要求でも、やらなきゃいけない。無論それはあなたが他の誰かに要求する前に自分が範を示すべきこと。表現者や創作者や有名人の政治的発言は「分別」することで(あるいは別の手段で)容認すべきだし、アイドルの恋愛を他人がどうこうしようなんて(例えルールがあっても)おこがましく、また醜い支配欲の表れです。作風の変化を「自分の思い通りに」しようなんて考えるのも傲慢ですし。実写化に対して嫌悪してみるのも、所詮は勝手に自分の中に理想を作り出してそこからのズレを忌避する所作、「自分の好きなものが嫌いになった」ことに対する幼稚で身勝手なわがままでしかありません。

 自分と違う人も受け入れてしまえるようになること、この難しい課題の克服は、批判をする人たちの方にこそ求められるものではないでしょうか?

  

*1:例えば仮面ライダーの新作が発表されるたびに「これじゃない」「仮面ライダーである必要がない」といった意見が飛び交うのはもはや恒例行事です