話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

(付録) オリンピックエンブレムについて徒然なるままに

 前回の記事では佐野研二郎氏のオリンピックエンブレムのパクリ騒動について、かなり大雑把に捉え、現在の世相と絡めて話しました。

q9q.hatenablog.com

  それとは別に、もうちょっと具体的に、奥へ入り込んで思いついたことがいくつかあるので、あまり整理されてはいませんが前回の記事の付録という形で書いてみたいと思います。

 

Topic1. パン騒動の影響とオオカミ少年

 前回の記事でも示唆しましたが、トートバッグのパンの写真盗用疑惑をオリンピックエンブレムの件と絡めて話す(話そうとする)人は多いようです。

 単純に考えれば「パンでやったんだからエンブレムでもやったんだろ」となってしまうのは、まぁ気持ちはわかりますが、完全にオオカミ少年の罠にかかってしまっています。

 例えで考えてみましょう。

 佐野氏の作品を10個選んでA~Jまでのアルファベットを割り振ります。この10個のうちにオリンピックエンブレムも入っているとする。そしてパンの写真の入ったトートバッグもあります。トートバッグはAです。そしてAはパクリだと分かった、としましょう。(実際にパクリだった、と言ってるのではなく仮定です)

 さて、A以外のB~Jはパクリでしょうか?

 あるいはB~Jのうちどれがパクリでしょうか?

 こうして考えると、まずAがパクリであることと、それ以外がパクリであることの因果的な断裂に気付きます。これはオオカミ少年の寓話そのものですね。それに加え、B~Jという選択肢の幅、オリンピックエンブレムの決定不可能性も目につく。つまりB~Jのうちどれをパクリであると言えばオリンピックエンブレムがパクリであることになるのか? そこがずっと不明なわけです。

 ネット上にはパンの例以外にもいろいろとパクリと噂される作品が挙げられていますね。いいでしょう、Aのみならず、B~Gまでもパクリだったと仮定してみる。残るのはH、I、Jの3つ。この中にオリンピックエンブレムも入っているとする。

 さて、H、I、Jのうち、それがパクリでしょうか?

 同じことですね。

 ここから分かるのは、結局、トートバッグのパンの件からオリンピックエンブレムもまたパクリであると導くことは、一例からすべてを(佐野氏の作品すべてを)パクリであると認定するのと同義である、ということです。B~JあるいはH~Jのすべてをパクリ認定しないとオリンピックエンブレムがパクリだと主張できないわけですね。

 

Topic2. 「犯人探し」されない不思議

 トートバッグのパンの件、実は驚くべきことにネットが大好きな「犯人探し」が行われていません。

 佐野氏はトートバッグのデザイン盗用を認め、同時に「部下がやった」と主張しています。それに対してネットでは「佐野研二郎デザインというのは嘘だったことになる」「成果は自分のもので、失敗は部下のものかよ」というような反応があるようです。

 にもかかわらず、僕の見る限り誰も「その部下とは誰か?」という疑問も興味も持っていない。無断盗用に怒りつつ、しかしその実行犯には何故か欠片も興味を示していないのです。

 これって、わりと不思議じゃないですか。

 多くの人が写真の無断盗用そのものには興味を示さず、その管理責任の方にばかり興味が向いている。一体この事態はなんなのでしょう? 佐野氏が「成果は自分のもので、失敗は部下のもの」なら、彼らはさしずめ「成果は部下のもので、失敗は佐野のもの」といったところ。反転しただけで、構造の奇妙なところは変わっていません。彼らは本当に「無断盗用」に怒っているのでしょうか? それとも?

 結局のところ、「叩ける」「叩く口実のある」スケープゴートがあれば、それが真犯人であれなんであれわりとどうでもいいのかもしれません。更に言えば、どうせ叩くならビッグネームの方がいい、ということもあるのかもしれない。佐野研二郎を叩くのは面白いが、「佐野研二郎の部下」などという誰だかわからない人を叩いても特に面白くないのかもしれません。

 

Topic3. 神の存在を信じますか? 信じませんか?

 次は、過去の記事

q9q.hatenablog.com

  と同じ論法です。

 あなたは神の存在を信じますか? 信じませんか?

 僕は「存在するともしないとも信じない」というような答えが多いのではないかと考えます。(逆に言えばそれ以外の人にとってはこのトピックは少々退屈かもしれません)

 神が存在する証拠も存在しない証拠も無い、だからどちらとも信じないし、どちらと決めつけるのも間違ってる、ということですね。

 この考え自体は至極まっとうだと思う。とても素晴らしい考えです。

 では

 オリンピックエンブレムがパクリであるという決定的かつ直接的な証拠は、出てきたでしょうか?

 出てきていない場合、さて、どちらと信じるのが正しい態度でしたでしょうか? パクリであること? パクリでないこと? あるいはどちらとも決めつけないのが正しい態度だったでしょうか?

 このあたり、他のどんな問題でも大抵そうですが、「神がいる証拠もいない証拠も無いからどちらとも信じない・決めつけない」という態度は他の場面では驚くほど貫徹されてないなと、普段から感じるわけです。

 

Topic4. 悪魔の証明

 佐野氏や彼を擁護するデザイン業界の人々に対して「パクリでない証拠」を求める人もいるようです。

 これに関しては、まぁタイトルで言ってしまっている以上、つらつらと書くのも白々しいですね。

 悪魔の証明です。

 通常の議論では「パクリである証拠」を提出するのが先ではないでしょうか? 更に言えば、反証可能性を示さなければ、あまり建設的な議論とは言えない。「なにがどうであればパクリでないと認めてやる」って条件をまず疑う側が出すのが良い方法だと思います。

 

 Topic5. 痴漢冤罪と絡めて

  さて、悪魔の証明とくればなんとなく僕の頭の中に浮かんでくるのが「痴漢冤罪」です。

 実際、これまで上げた論理の不備にもかかわらず責める側である多くの人々の怒りの主張が優勢を占め、あまつさえ「やっていない証拠」を求められる現状は、女性側の証言が一方的かつ優先的に採用される非対称な痴漢裁判にそこはかとなく似ています。

 もちろん僕がここで想定するのはそうした痴漢裁判の非対称性に異議を唱える男性諸氏。彼らはその痴漢裁判に似た今の状況にどのように反応すべきでしょうか?

 「疑わしきは罰する」なのか「疑わしきは罰せず」なのか。

 これまでのトピックと絡めて、トートバッグの件は部下がやったと仮定し、佐野氏自身は管理責任が問われていると考えてみた場合、痴漢の例に当てはめると、批判側の主張は「痴漢の上司だったんだから、こいつは痴漢に違いない」という解釈にもなりえる点、非常に面白いと思います。「痴漢の上司は痴漢」って、なんだかものすごいですね。

 

Topic6. 結局あのデザインはセンスがあるのかないのか

  前回の記事でも触れましたが、オリンピックのあのエンブレムについて「センスがあれば(あるいは知識があれば)エンブレムの良さはわかる」という意見と「大衆に分からなければ意味無い」という意見があるようです。

 ともすると後者の意見は「センスが無くても(知識が無くても)いい」という開き直りともとれる。それ自体は大変結構なんですが、普段からその人がそういう思想なのかと言えば、まったくそうである人と、そうでない人がいるだろうな、と。

 この「センスが無くても(知識が無くても)いい」という開き直りは、AKBやラノベやワンピースのような「売れてるが、マニアックな人からの評価は悪い」コンテンツの肯定のようにも取れてしまう。しかし今回の件で叩いてる人とこれらコンテンツを叩いてる人はある部分層が被ってるのではないか、というのが前回の記事でした。

 更に深く突っ込んで、「結局あのデザインはセンスがあったのかなかったのか」を考えてみてもいいと思う。

 一般的に「センスがある」とされているデザイン業界の人たちはあの作品を肯定的に評価している人が多い(ように見える)。とすると、あのデザインが気に入らない人は「センスがない」ということになるのだろうか? では、その「センス」の根拠は? そもそも「センス」なんて本当にあるのでしょうか?

 これに関して例えば先日芥川賞を受賞したピース・又吉さんの『火花』に対する評価を考えてみても面白いかもしれない。先日こういう記事を見ました。

bylines.news.yahoo.co.jp

 これは簡単に言えば、純文学に関して「センスのある」とされている人々は『火花』を文学的には評価してないよ、という内容が含まれていると思うわけですが、オリンピックエンブレムのデザインに関して「センスというものは存在する」「存在しない」としてみたとき、この記事の見え方もかなり変わってきます。

 仮に「センスなどというものは存在しない」となったとき(更に言えば「大衆に評価されるのが良いものだ」となったとき)この記事の趣旨はかなりズレたものに見えざるをえない。

 

 

 ……などなど、今回の1件からいろいろなことを考えてみることができるわけです。面白いですね。

 

余談

  余談ですが、付録ということで思い付いたものを思い付くままに思い付いた順で特に整理もせずトピックごとに分けて書いてみたわけですが、なかなかいいですね、これ。

 結構やりやすい。

 僕は結構話が長く、記事も長くなってしまう傾向が前々からあるんですが、今回は言及したトピックの量のわりに、わりとスリムに行けたのではないかと、思います。

 そもそも僕の思考はリニアというよりはパラレルという感じなので(注意力散漫とも言う)、こっちの方が合ってるのかもしれない。後で思い付いたことを追記もしやすいし、思わぬ発見でした。

 これからしばらくはこの書き方を試してみようかな、と思う今日この頃。

 です。