話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

『know』論  スーパーにフラットせよ

 以前、第5回課題について記事(前編後編)を書いてみた批評再生塾の、新たな課題が提出されました。

 課題は以下のもの。

school.genron.co.jp

一つの作品、あるいは、一作家を対象とし、あえて、重箱の隅をつついて下さい。つついた上で、重箱そのものを壊し、かつ、壊すと同時に、その残骸を元に、誰も見たことのない新たな筺をつくること。

  非常に難しそうだなと思い、また道場破りしてみたいなと思いつつも「今回は無理だな」と思っていたのですが、ちょうど最近読み終わった野崎まどさんの『know』で思いついたことがあったので、書いてみたいと思います。

 

 というわけで、以降はネタバレを含みます。『know』のエンディング含む核心にも言及しますし、またこの作品自体そうした核心部分が非常に重要な作品なので(言い換えればネタバレがかなり致命的になりうる作品ですので)読んでない方は是非作品を読んでからご覧になってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

批評の前に

 さて、まず批評に入る前にいくつかのことを確認しておきましょう。なにしろこれから重箱の隅をつつくわけですが、それが本意となるような作品では当然ないわけです。つまり素晴らしい。淡々と進みつつも読者の関心を捉えて離さない怒涛の展開。様々なトピックに手を広げつつ収束して行く主題。特に禅と神道に接近する部分は非常にワクワクしました。京都御所に入る前の銃弾の華麗な回避劇も素晴らしかった。ラプラスの悪魔的な計算能力をそんなふうに使うのか!と驚かされましたね。

 それから、この物語は言うまでもなく「脳」の物語です。タイトルもその言葉遊び、ダブルミーニングでしょうね*1。脳というものの可能性、そしてそれがどこに繋がっているのか?ということについて一つの興味深い仮説を立て、一つの主題としています。

 そして、これからその主題という重箱の中心のごちそうではなく、あえて隅っこの脇役的要素をつついてみるわけです。

 

1. 重箱の隅をつつく

 重箱の隅と言いつつ、僕個人にとってはそれは非常にひっかかる、そして精神的に辛い部分でした。

 この作品には「クラス」という階級概念が出てきます。クラス0~6まで(基本的には)あって、標準的な市民はクラス2。クラスにより情報の取得権限と保護量が左右され、上位になればなるほど様々な機密にアクセスでき、自己の情報は強固に守られます。逆に下位になればなるほど権限はなく、情報は守られない。ホームレスなど生活保護を受ける階層が該当するクラス0に至っては、たとえ女性であっても、その情報はほとんど守られません。その気になれば誰でも、裸の映像すら入手できる。

 そうした部分が個人的には辛かったわけですが、それ自体は作品の瑕疵とは言えません。作品はただそう描いただけで、そうした状態を肯定するものではないし、むしろ主人公は否定的です。また作中では「守られない情報には誰も興味を示さない」つまりクラス0の裸には誰も欲情しないため、悪戯以外では誰も積極的に見ようとしない、というフォローも同時に書かれていました。

 しかしそこにこそ、この作品の重箱の隅はありました。

 本作の一つの見所と言えるクラス*(アスタリスク)・素月切ルとの情報戦闘。その前あるいは最中に、素月はクラス0である道終知ルを脱がせようとします。これも悪戯と言ってしまえばそうなのですが、「可愛い」という発言や脱がせることにこだわる姿勢など、どうも若干ではあれ欲情しているような雰囲気はある。他にも、主人公自身もそのような描写はあります。そりゃあクラス0であっても、隠されてなくても、容姿が良ければそうなりますよね。

 というわけで「守られない情報には誰も興味を示さない」という本作の重箱の隅には、わずかながら瑕疵があるようです。

 そしてこの小さなキズが、やがて重箱全体を決壊させる要因となります。

 

2. 重箱そのものを壊す

 本作が最終的に提示するのは、スーパーにフラット化された世界です。

 そこではもはやすべてが「知」られているため、例えば生と死の間にすら壁も勾配もありません。ゆえに、病弱な少女の救えない命の死でさえ、その世界では悲劇ではない。小学校卒業から中学校入学のような、ちょっとした微笑ましいイベントに変貌します。

 そしてこの主題は作品の序盤から既に底流していたことがわかります。

 前述の「クラス」という情報格差が生まれた要因は、脳を模倣したために生まれたネットワークの局在的な偏りでした。そしてそれは意図的に仕込まれた劣化だった。その理由は

先生は、より効率的で、シンプルで、フラットなネットワークを作ることもできたはずだ。だけれどその平坦な地平には“価値”が発生しない。株は価格に差があるから市場が生まれる。土地は価格に差があるから利益が生まれる

 と説明されます。

 つまりネットワークに局所的な偏り――勾配を仕込んでおくことで、価値を作り、利権を作る。この新たな利権の創出のためにはどうしても「クラス」のような「格差」が必要だったのです。

 同様に、禅問答の中で不可能とされた「死の覚悟」は、生と死、我々の世界と死後の世界の間の勾配を取り除くことで可能になります。

 つまり逆に言えば、エンディングで提示された「死さえ不幸ではない世界」は、その更に終端では一切の勾配がない、すなわち「一切の価値が生まれない世界」でもあると言えるのです。それこそが、あのエンディングに幸福な清浄さと凶々しい黒さを同居させる、特異で秀逸な点なのです。

 しかしここに、重箱の隅のキズからやってくる、静かな、しかし予兆的な水音が響きます。

 重箱の隅のキズは「守られない情報には誰も興味を示さない」というまさに「勾配が価値を生む」理論の部分的な否定でした。一切守られない、勾配もどこにもない(二つの意味で?)クラス0の裸に、従って価値の生まれるはずの無い裸に、何故か欲情してしまう男性諸氏。その姿はレヴィ=ストロースが明らかにした近親相姦の禁止(インセスト・タブー)を想起させます。

 近親相姦が禁止される、つまり「正常な人間」が近親には欲情しない要因は、社会的な意味付けによるものでした。婚姻とは女性の交換であった、だから交換を生まない近親相姦は禁止される。しかしその一方でそれでも近親に欲情してしまう「異常者」(とされる者)もわずかではあれ存在します。それは人間が社会的な動物である以前に、社会を構成しない、動物的な動物であったからです。

 動物の行動はゲシュタルト(記号)とそれに対する反応の一対一の対応関係に支配されています。そこでは「社会的な意味付け」なるものは効いて来ない。あるとすれば近親相姦を回避する、進化論的な淘汰によって生まれた一つのゲシュタルトのみでしょう。しかしそうした調和的な世界(ピュシス)からはみ出しカオスを抱えた人間にとっては、もはやゲシュタルトとその反応の関係は一対一ではない。一つの記号に対する多様な(錯乱した)反応。だからこそ近親に欲情もすれば、それを社会的な意味付けによって禁止もできるのです。

 つまりここに「勾配が価値を生む」理論の見落としがあります。

 すべてを「知」ることによる勾配の除去は、たしかに「死」さえも無価値化する。しかしすべての勾配が消え去った後でもなお残るものが、人間の身体性の中にはあります。そして勾配によるカオスの支配が終わったピュシスの世界では、新たな(古い)価値の原理が再起動します。

 つまりすべてを「知」り、勾配が無くなった後、人間は次の存在へ「進化」するのではなく、むしろ動物へと「逆戻り」するのです。

 

3. 新たな筺をつくる

 さて、重箱は壊れました。幸福な清浄さと凶々しい黒さの同居するあのエンディングは、むしろ完全な勾配の除去(従って完全な動物化)には至っていない中途半端な世界ということに、なってしまった。

 しかしここから、この作品の新たな価値が見えてくるのです。

 勾配の除去は、人間をして死をさえも超越させるという希望とともに、一切の価値が無くなってしまうという絶望をも想定させていたわけですが、そうでもなさそうだということがわかった。

 つまりクラス0という究極のフラットにさえ欲情して見せた主人公同様、例えすべてを平等にスーパーフラット化させても、我々はなおも価値というものを感じることができる、そんな未来を本作は重箱の隅から匂わせているのです。

 それは新たな、ひとつの希望です。これまではすべての差別をなくし、すべてをフラット化させることを躊躇させる要因があった。しかしその要因がもしかしたら除去されたかもしれない。つまりこの作品は、フラット化による無価値化の挫折を描くことで、フラット化による差別の全撤廃・完全な平等という未来を強く推奨しおおせている、と解釈できるのです。

 そしてその未来とは、相対化の果ての果て、スーパーフラットな、完全に動物化した世界です。

 思えば野崎まどさんのこれまた非常に秀逸な作品である『ファンタジスタドール・イヴ』もまた、この動物化に至るまでの一人の男の生を描いたものでした。彼はミロのヴィーナスとの衝撃的な邂逅以降、女体(ゲシュタルト的価値)というものに強く惹かれつつ、女性(社会的価値)を強く憎み、恐れてもいた。そして最終的に、彼は二次元的な平面(フラット)に理想の女性を詰め込んだ「ファンタジスタドール」を生み出します。

 あらゆるものを相対化し、データベース的に消費すること。そうした生き方への躊躇を、不安を、野崎まどさんの作品は払拭し、我々を新しく古い、ピュシスの世界へと導きます。

 それこそが、彼の作品の素晴らしい価値だと思うのです

know (ハヤカワ文庫JA)

know (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

 

 

*1:もしかしたら「苦悩」もかかっているかもしれません