読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

ニュートリノを批評する

 ……ニュートリノ…………ノーベル賞…………

 つけ放しにしていたテレビからふと耳に絡みついた単語に僕はギクリと背筋をふるわせ

 やはりか……と呟いた。

 

 <彼女>との出会いはいつだっただろう? いや、私的な話はよそう。こんなときに限って親密さをアピールするようでは、かえって<彼女>の品位を貶めてしまう。

 それよりも軽やかで、捉えどころがなく、猫の目のように移ろいやすく、なにより謎めいた<彼女>について、あらためて語ってみたい。

 

エネルギーはどこへ消えた?

 <彼女>ははじめ、華麗なる怪盗として我々の前に現れた。

 中 性子さんが時折陽子さんへ変身することは既に周知の事実であったのだけど、この変身を描いた<彼女>のある意味においての《処女作》といいうるであろう『β崩壊』には、ある一つのスキャンダルがあった。

 エネルギーが失われること。

 最初に疑われたのは変身の際に放出される電子さん。実際電子さんはエネルギーをいくらか持っていくのだけど、持っていく量はその時々によって異なるし、収支も合わない。

 ではエネルギーはどこに消えたのか?

 誰か、エネルギーを盗んだもう一人の登場人物がいる――そんな奇妙な推理を組み立てたのが二人の天才、パウリとフェルミだった。

 登場していない犯人の予言、そんなことはどんな名探偵にだってできないのではないだろうか? しかしそれをやってのけた。

 世界という書物に巧妙に隠れた<彼女>の姿を、まるで水の中から透明な寒天を掬い取るように、精妙な手つきで取り出してみせた彼らには、感動さえ覚える。フェルミの論文を「推測的過ぎる」として掲載拒否した雑誌Natureは、のちに創刊以来の大きな編集ミスの一つであったと認めたそうだ。

 

 そうして<彼女>の存在は予言されながらも、誰も<彼女>の姿を見たものはいない。

 ただしその《痕跡》を捉える者が現れる。

 

 見えないものを見ようとして

 誰にも見えないと言われる<彼女>を捉えたいと多くの天才たちが願い、ライネスとコーワンもその中のひとりとひとりだった。

 『β崩壊』を起こせば<彼女>は現れる。『β崩壊』が多く起こっているのは?

 原子炉の中。

 原子炉の近くなら<彼女>を捉えられるかもしれない。しかし、どうやって?

 <彼女>は見えない。パウリとフェルミは<彼女>が中性であると予言した。どうやって中性の<彼女>を捉えればよいのだろう?

 それに<彼女>たちの世界にいるのは<彼女>だけではない、宙からはミューオンさんや電子さん達が大量に降り注いでいる。雑踏の中で見えない<彼女>だけを捉えるにはどうすればよいだろう?

 ライネスとコーワンによって取られた方法は、あまりにも画期的だった。

 <彼女>を生む『β崩壊』を逆用すること。

  『逆β崩壊』

 中性子さんが陽子さんへ変身するとき、<彼女>は現れる。では陽子さんを待ち伏せさせておけば? 陽子さんと出会った<彼女>は陽電子さんを生み出しながら陽子さんを中性子さんに戻す。しかもこのとき陽電子さんは電子さんと『対消滅』して二つの光子さんを生み出し、中性子さんは数μ秒漂ったあと原子核さんに捕獲されて、そこでも光子さんが生まれる。この独特な時間差をともなった二つの光子さん発生イベントを捉えることで、雑踏の中から<彼女>の痕跡だけを見つけることができる。時間差トリックの罠を張ることで。

 

 ついに神出鬼没の怪盗の《痕跡》が見つかった。

 そして<彼女>はいくつかの証言と新たな謎を同時に告げる。

 

手のひらを太陽に透かしてみれば

 <彼女>は『核分裂』や『核融合』で生まれる。逆にいえば<彼女>を捉えることで『核分裂』や『核融合』が起こっている場所を探すことができる。

 そして<彼女>は太陽からやってきていた。つまり<彼女>は証言している「太陽では核融合が起こっている」と。それになんでも突き抜ける突き抜けた<彼女>は太陽の中さえも突き抜ける。太陽の内側で起こっていることも<彼女>は知らせてくれる。

 だけどそれは新たな謎の誕生でもあった。

 <彼女>の数が少ない。

 これまで考えられていた太陽の中の反応から予想される<彼女>の数の1/3ほどしか<彼女>は地球に来ていなかった。我々は太陽について思い違いをしていたのだろうか? だけど太陽のあの輝きと、<彼女>のエネルギーは逆に我々の太陽のモデルがそう間違っていないことを証言してもいる。

 矛盾する二つの証言。

 <彼女>のかけた謎に天才たちが挑む。

 

星のおわり

 <彼女>が提示した新たな謎を解く前に、もう一つの証言についても話しておこう。

 太陽のような星たちは、最期にひときわ輝く。

 『超新星

 <彼女>はそれも知らせてくれる。一直線に僕達のもとへ飛んできて「起こったよ」と知らせてくれる。

 “大統一理論”の一つの証拠となる陽子さんの自然な崩壊、このあまりにも貴重な瞬間を捉えようと「カミオカンデ」で待っていた天才小柴昌俊さんは、ふいに<彼女>の知らせを耳にする。

 <彼女>は多くのことを僕達に教えてくれる。太陽のこと、超新星のこと。

 でも一筋縄にはいかない。<彼女>はいつも謎めいている。

 

三つ子の入れ替わりトリック

  さて、それでは<彼女>のかけた太陽に関する謎に戻ろう。

 太陽から来ているはずの<彼女>は少なかった。残りの<彼女>たちはどこへ消えたのだろう?

 素粒子たちの姿を描く、いま最も信頼されているであろう理論“標準理論”では<彼女>は三つのタイプを持つ三つ子だとされている。太陽で生まれる電子型と、ミュー型とタウ型。

 謎めいた三姉妹。

 そしてそれまで捉えられていたのは電子型の<彼女>。

 

 もし

 電子型の<彼女>が別のタイプに入れ替わっていたら?

 

 それは、およそありえない、すくなくとも“標準理論”に書かれていないことだった。中性子さんが陽子さんになったりするのとはわけが違う。想像を絶する変身。

 しかし三人の天才、坂田昌一さん、牧二郎さん、中川昌美さんはこの奇妙な変身を理論化し、「スーパーカミオカンデ」で待っていた天才、梶田隆章さんはミュー型の<彼女>を捉えることで<彼女>の揺らぎ、振動を知った。

 『ニュートリノ振動』を。

 

 そしてもう一つ、そこからわかる意外な事実。

 “標準理論”では質量をもたないとされる<彼女>の秘密――。

 

 <彼女>は質量をもっている。

 

 また一歩、僕達人類は謎めいた<彼女>に近付くことができた。

 

秘密の<彼女>

 すこしは<彼女>のことがわかってきた僕達。だけどまだ<彼女>は多くの謎を纏っている。

 <彼女>は質量をもたない光子さんより速いという噂が流れたこともあった。多くの驚愕を呼んだこのアリバイトリックは、ケーブルの接続不良によるものだったことが明らかにされた。

 <彼女>が質量を持つことがわかっても、どのくらい質量があるかはまだ正確には分かっていない。<彼女>たちの振動をみることで3つのタイプの<彼女>たちの間の質量差はわかるけれど、誰が誰より重いのかは謎が残されている。

 <彼女>の超対称性粒子は《ダークマター》の一員だという噂もある。美しい女性には危険な謎がつきものだ。

 

 <彼女>の魅力を一言で言い表すならば、それはやはり「謎」だろう。

 謎めいて、ミステリアスで。

 広い意味での――『ミステリ』

 未だ多くの天才たちを魅了してやまない<彼女>の謎。

 謎はある。謎はまだまだある。

 <彼女>はマヨラーなのか? <彼女>たちの中にステラいるのか?

  謎がある限り、天才たちは<彼女>との語らいをやめないだろう。凡夫たる僕はそれをただ眺めることしかできないけれど、それでも十分過ぎるほど<彼女>は魅力的だ。

 <彼女>を批評する。そんなことはできないのかもしれない。

 だけど、それでも、僕は、僕達は<彼女>について語るのをやめられない。

 外部たる僕が語ることで<彼女>の別の魅力を引き出すことなどはできないだろうか?なんてことを考えながら。

 

 

 

(執筆:弱い荻上