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話しかけないでください。オタクのことが嫌いです

オタクの嫌いなところを列挙したり解説します。ときにはオタク達の矛盾を指摘します。話しかけてもいいですよ。でも。オタクのことが嫌いです。

本当に正論を言っていいのか? いいんだな?

その他のお話

 僕はわりと正論が好きな人間だと思うし、そうありたいと思っていたりします。

 だって「正しい」ことは「正しい」と言いたいじゃないですか。

 でも一方で「正論」という言葉はあまり好きではありません。誰にだって自明なことは「正論」とわざわざ呼ばれたりしませんから。大抵の場合「正論」にはそれを正論だと思えない人がいて、じゃあ正しさってなんだ? とか思ってしまうわけです。

 という前振りとは実はあまり関係ないんですが、ドランクドラゴン・鈴木さんのインタビューがいろいろと話題になっているようです。

togetter.com

 見たところtogetterでとり上げられている意見は批判的なものが多いようですが、はてなブックマークを見るとそうでもない模様? やっぱり場所とか集まりによって傾向ってあるのかなと思います。

 で、僕自身は前々からドランクドラゴン・鈴木さんのブレない「クズ」っぷりは好きだったんですが、今回もかなり同意できました。

 ただ今回の主題はドランクドラゴン・鈴木さんではなく、それに反応する人々についてです。

 

「だってあの人たち、俺のお客さんじゃないですから」

 今回の記事では、ドランクドラゴン・鈴木さんの意思は無視します。「この人は本当はこう思ってる」なんて分析はしません。

 その上で書きますが、この文(インタビュー)の凄いところって、「だってあの人たち、俺のお客さんじゃないですから」というところなんですよ。

 ここから見えてくることって凄いですよ。この話は「誰も正論なんか聞かない」「だから自分のお客さんに気に入って貰えるよう「正論」は吐かない」「「正論」を言っていいのは周囲が「なるほど」って耳を傾けてくれて、失敗した時に自分でケツ拭ける人」というものだと思いますが、彼が「正論」を言わないのは「お客さん」に対してであって、ツイッターで絡んでくる視聴者は「お客さん」じゃないんです。

 つまり、彼は言えるんですよ。

 視聴者に、「正論」を。

 これってかなり凄いことじゃないですか?

 「これってかなり凄いことじゃないですか?」ってことからさらにわかるのは、多くの芸能人は言えないってことです。視聴者に、「正論」を。

 つまり多くの芸能人は鈴木さんのように口には出さないものの、「お客さんに「正論」を言わない」という鈴木さんの哲学を実行しているわけです。でも叩かれない。むしろそのことを正直に告白し、ある意味では「正論」を、実情を語る鈴木さんだけは叩かれるわけです。

 これって不謹慎ですけど、すごく面白い構造ですよ。

 僕はこういうねじ曲がった論理構造を見るとなんだか嬉しくなってハイになるんです。変だなと自分でも思いますけど、仕方無いですね。なるものはなるんだから。

 

 話を戻しますが、鈴木さんは多くの芸能人が実行している「お客さんに「正論」を言わない」を同様に実行していて、でも「視聴者」に関しては限定解除できる、いわば多くの芸能人より「正論」に近い男です。でも近い彼こそが叩かれる。

 当たり前です。鈴木さんの言うとおり、「だぁ~れも、そんな正論なんか聞いてません」なんですから。それは視聴者とて同じことですし、むしろとりわけそうです。

 「お前のお客さんは視聴者だろ」「視聴者から嫌われれば長い目で見ればテレビに出られなくなって困るのは自分だぞ」という反応をする人はわりにいるようです。彼らはなにが言いたいのでしょうか? 自分達がお客さんだったら、なにが変わるのでしょうか? 鈴木さんが正論を言ってくれるようになる? まさか。

 鈴木さんにとって「お客さん」とは「「正論」を言えなくなる相手」なんです。つまり「俺がお客さんだ」と彼に言うのは「俺に正論を言うな」ってことと同義なんですよ。

 これは鈴木さんでなくてもそうです。「俺は視聴者だぞ」と芸能人に言うのは「俺の気に入るようにしろ」という意味を含む場合がほとんどでしょう。

 「正論」を言わない彼を叩く人は実のところ、「正論」を自分達に言わないことをこそ彼に求めているのです。

 

「正論」を言われる覚悟はあるか?

 鈴木さんへの批判を見ると、多くの人は自分が「正論を言う/言わない側」であると思っているようです。そこで鈴木さんを批判するのは確かに気持ちがいいでしょう。自分の「お客さん」でない鈴木さんに「正論」をぶつけるだけで、あたかも「正論を言う側」であるかのような、ヒロイックな気分に浸れるわけですから。

 でも本当に大事なのは「正論を言われる/言わせない側」としての自分ですよ。

 特に鈴木さんのような芸能人を相手にする時、相手が自分にとっての「お客さん」であることは滅多にありません、むしろ自分が「お客さん」で、つまり彼の「正論」を聞かないことができる立場です。黙らせることも、鈴木さん相手でなければあるいは可能でしょう。

 そのときに、「正論」を言われる覚悟が果たして自分にあるのか?

 ここで「正論を聞く人」になるには、封印するべき言葉があります。

 「言ってることは正しいけど、芸能人がそれを言っちゃダメだよね」

 ということ、それに類する言葉です。

 「芸能人と視聴者」「売り込む側とお客さん」「主と従」という立場を利用せずに「正論を聞く」ことが求められる場面でそれを言ってしまっては意味がありません。

 それでは立場を利用して「正論」を封じ込めようとする上司・権力者と同じです。

 同じことは政治家にも言えますね。「言ってることは正しいけど、政治家がそれを言っちゃダメだよね」と言える人は、政治家に「「正論」を言え」と言う資格なんかないわけです。最初からそんなもの求めていないのだから。

 芸能人でなくても政治家でなくても、誰に対しても同じです。「「正論」を言え」と言うなら「正論」を封じ込めてはいけません。誰に対しても。

 こうして考えてみると分かりますが、「正論を聞く」というのは思いのほか難しいことです。とてもへヴィで、根気と覚悟と自己批判力の要る難しいこと。当たり前です。そうでなければ「正論が聞かれない社会」になんてなりません。難しいからみんなできないし、みんなできないから「正論が聞かれない」んです。

 

そもそも「正論」って?

 最後に正論そのものについて考えてみましょう。

 記事の中で鈴木さんは「ありますよ、テレビの現場で「こうした方がおもしろいのにな、うまくいくのにな」と思うことって」と述べています。これが記事の中の言葉で言えば「異論」で、「最近、外国の影響なんすかね「自分の主義主張は堂々と言え」「間違っているものは間違っているということが正しい」みたいな風潮があるじゃないですか」における「異論」と「正論」の並置を経て、スムーズに「正論」の話へ移行します。これ、ちょっと鮮やかながらズルいな(笑)と個人的に思うところなんですが、まぁいいでしょう。

 ある意味必然です。「自分が正しいと思う」=「異論」と、「正しい」=「正論」の区別って、多くの場合、誰にも付けられないでしょうから。

 で、そうなると彼に「「正論」を言え」と言うのは要するに「「異論」を言え」と同義になってしまう。要するに「自己主張しろ」ってことです。でもこれっておかしいんですよね。彼を批判する多くの人は彼を「面白くない」と思ってるはずで、となると彼が自己主張すればするほど、番組はつまらなくしかならないんです。

 というのが、彼を批判する人たちのやはりおかしな部分なんですが、これは他の問題にも敷衍できます。

 つまり「無能な働き者」問題ですね。*1

 「正論」はそれが採用され、実行に移されて結果を見て検証されるまで、「正しい」かどうかはわからない、つまり結果が出るまではただの「異論」「自己主張」に過ぎません。

 それを「正しさ」を判断する能力に乏しい人が主張し、もし採用されて強行されればどうなるか、自明の理です。しかも事が起こった後に本人は何も責任を取れないとしたら?

 「(「正論」を)言っていいのは周囲が「なるほど」って耳を傾けてくれて、失敗した時に自分でケツ拭ける人

 という言葉の重みがここでわかります。

 彼に反論する人の多くは「正論」の「正しさ」を自明視し過ぎているし、彼らの理屈では「無能な働き者」を抑止する術が無くなってしまうのです。

 

 本記事のタイトル「本当に正論を言っていいのか? いいんだな?」には、これまでの流れを加味して二種類の解釈がまずありえます。

 一つは「正論を言われる覚悟はあるのか? 言われた正論をちゃんと聞くことはできるか?」というもので、現状多くの人は(僕も含めて)難しいでしょう。でも将来的に「YES」と答えられるようになるよう、目指すべきものです。

 もう一つの解釈は「無能な働き者も「正論」を言っていいのか?」ということで、これは逆に「NO」と答えるべきでしょう。「正論」はそれが主張される段階では「正論(だと思われているに過ぎないもの)」です。これを主張するにはそれなりに根拠を用意した方がいいし、してもらった方がいいです。

 まぁ後者は余談のようなもので、重要なのはやはり前者でしょう。

 そしてその試金石としてドランクドラゴン・鈴木さんは、とても稀有な方です。

 「正論を聞ける能力」とは、言ってしまえば「どんなに嫌いな奴でも言ってることが正しいなら認めることができる能力」です。彼のことが嫌いな人ほど、彼が「正論」を言う時には注意深くなる必要があるし、彼は「視聴者」に対しては「正論」が言える人ですから、そのチャンスはふんだんにあるはずです。

 問題は僕ですね。僕は鈴木さんのことが嫌いではないですから、彼を試金石にすることはできません。

 僕は一体誰のことが嫌いで、誰の「正論」に耳を傾けるべきなのでしょう?

 いまのところ、答えは出ません。

 

 

 

(執筆:荻上クズ)

*1:誤解のないように書いておきますが、僕個人は鈴木さんは面白いと思います。面白いから呼ばれるんでしょうし。でも面白いかどうかは見る人によって変わるのも当たり前で、彼のことを「面白くない」と思う人がいること自体は不思議ではありません。